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▽講演会(平成十六年四月十一日)より
家族、教育、国なおし―― 戦後の宿題を片づけるために ――
 
私はもともと新聞記者なんです(元『サンケイリビング新聞』編集長)。新聞記者として介護や育児の問題など、読者の声を国会や政府に届けているうちに、国会議員になったらどうかと勧められて、平成十二年に衆議院議員になりました。
初めのうちは新聞記者が議員になれるのかしら、と不安でした。でも、朝、五時に起きて子供たちのお弁当を作り、満員電車を乗り継いで、だれよりも早く出勤していました。やらなければいけないことが、たくさん出てきたのです。まず最初は教育問題でした。

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(2/3) 二、家族を守るのか、壊すのか
▼家族を守る法律がない
 いろんな国の憲法には、「家族は保護、尊重されるべきである」という条項があるのに、日本の憲法にはありません。「家庭教育を大事にする」ということが、憲法にも教育基本法にもきちんと入っていないのです。
 昭和二十二年、日本は占領下、GHQが深く関わって「教育基本法」を作りました。その時、何も知らない通訳が、「日本の家庭というのは家制度、封建主義です」と言ってしまった。それで日本の家庭、家族は悪いものだと思ってしまったわけです。国よりも個人、家族よりも個人が大事という気持ちで憲法と教育基本法、民法が作られました。
 敗戦のショックの中で、戦前の教育は間違っていた―― みんな間違ってたわけではありません!全体主義的な上からの押しつけはダメ。知育徳育の一方的な押しつけもダメ。多様性、個性が大事、主体性が大事、ということで、今のような「教育基本法」ができてしまったのです。
 これは大変な問題だと思いました。神様から頂いたきれいな体と魂を汚すようなことがあってはいけない。ましてや女の子は神聖な母親になるわけですから、そんなものを飲んではいけません。
 
▼「男女共同参画社会基本法」のまやかし
 さらに、家族の絆を揺るがすものとして、「男女共同参画社会基本法」という法ができました。
 男女平等、女性の社会進出、おおいに結構ということで、一九九九年に国会の全会一致で成立しました。「男女共同参画」とは、聞こえのいい名称ですが、その根底には、ジェンダーフリーや男女を対立的にとらえる思想が混じっています。
 その基本法を受けて、地方自治体でいっぱい条例ができはじめています。水戸市の条例では、家事、育児などについて、「従来女性が担ってきた無償労働に対し、必要性に応じて経済評価を与えること」という一文が入っています。
 それは、「わたし気がつかなかったわ。朝五時からお弁当作って、うちのお父ちゃんに早朝勤務、一時間千円請求しなきゃ」というようなことです。そのような関係は、本来なら夫婦と言いません。けれども、そういうことが、いかにもよいことのような感じで、どんどん条例の中に入ってきています。
 
▼自己中心で傲慢な幸福追求権
 「女性の性と生殖の権利」という項目が、男女共同参画条例に入っているのもあります。新聞記者をしていた頃は、法律の一つの言葉がこんなにも大きい意味をもつということを、実はあまりわかっていませんでした。けれども、国会議員になってわかりました。「女性の性と生殖の権利」が条例に入った場合にどうなるか。
 今、国会では、議員さんたちが「中絶は女性の幸福追求権である」という法律を作ろうとしています。日本では、中絶するときに男の人もサインしないといけません。ところが、女の幸福追求権を邪魔するなとばかりに、中絶は女性の権利だと言うのです。一部の革新自治体では、出産一時金を前倒しして、なんと中絶に払いはじめています。
 胎児の命はどうなるんですか。それを無視して、おのれの幸福追求権なんて傲慢です。
 
▼家庭科?それとも家庭崩壊科?
 私が国会で問題にしたことに、「結婚のかたち」があります。山口県宇部市の「男女共同参画課」が作ったパンフレットに、「結婚のかたち」として、様々な生活形態が書かれています。
 「婚姻届を出しました」「婚姻届を出しません」「形にしばられたくない」「別居です」「夫婦別姓です」……。町が、行政が、税金を使って、なぜ結婚の崩壊を招くようなことを推奨するのか。
 今年の高校家庭科の教科書に、「近年では、生活はともにするが、婚姻届を出さず、事実婚を選択するカップル。離婚をしても、新たなパートナーと出会い、再婚をするカップル。同性同士で生活をともにする人たちなど、さまざまな形でパートナーとの生活を営む人たちもいる」という結婚の記述があります。けれども、結婚の基本である普通の夫婦のあり方が書かれていないのです。
 また、家族の項に、「祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もある」なんていう記述まであります!  おばあちゃんたち怒ってますよ。「わたしらイヌ、ネコ以下か」って。命の連続性を断ち切ろうとしています、個人、個人と言って。これでは、家庭科なのか、家庭崩壊科なのかわからない。
 夫婦別姓のことも、指導資料には「それぞれ別な人格として尊重されるべきという新しい家族観を象徴し……」とあります。夫婦別姓に賛成している議員さんたちは、多様性は大事と言うけれど、もっと人間の本質、家族の本質、生きることの本質を考えてください!
 こういうことすべての根底にジェンダーフリー、家族を軽視する思想があります。
 
▼ゼロ歳児保育が少子化対策?
 少子化対策として、今なされていることに、保育所の増設、働くお母さんのためのゼロ歳児保育、延長保育などがあります。こうしたメニューが必要な人もいるでしょう。けれども、家庭保育とのバランスが大切です。
 夜十時まで毎日、延長保育が必要な女の人は、それほど多くはいません。八時頃家に帰ってきても、テレビを見ながらビールでも飲んで、十時になったら、そろそろ保育園に迎えに行く。そうすると子供はもう寝ているわけです。取材でそんな母と子の後ろ姿を見ながら、これでいいのかなあ、と思いました。
 ゼロ歳児の保育に、東京都の場合、一カ月、子供一人あたり五十五、六万円ぐらいかかるのです。その大半は国と地方自治体の負担です。それに対して誰も何も言わない。「保育園にゼロ歳児を増やしましょう。女性の社会進出が大事です」というような声しか聞こえてきません。
 私は三人の子供を授かって、一年間ずつゆっくりおっぱいをやりました。一生懸命おっぱいにしがみつく子供の信頼する顔を見ながら、不出来な私ですが、私も母親として育てられたと思います。
ゼロ歳の時期、それは、赤ちゃんがお母さんへの信頼と生きる基礎的な信頼感、人生に対する明るい気持ちを作る、とても大事な時期です。
 
▼まず家族を大事に
 「児童虐待防止法」の改正案が、数日前に通りました。それは、不十分でさびしい法律です。「ちゃんと通報しましょう」とか、「地域の子育てセンターを充実させましょう」……ということによって、早期発見に努めようという政策になっていく。また、「相談所の機能を強化」「予算を増やす。カウンセラーのお金を増やす」……。
 まず家族を大事にする」ということが全然入っていません。これでは、五年後、十年後ますます虐待が増えるばかりです。英国のブレア首相は、「子供は、お父さんとお母さんのそろった健全な家庭で育ててください」とおっしゃっています。なぜならば同棲家庭では、ちゃんとした親の家庭の七十三倍、子供が致命的虐待に遭うからです。ブッシュ大統領も、「Family Value家族の価値」ということを言われます。
 でも日本でそんなことを言うと、「シングル・マザーはどうするの!」「離婚した人はどうするの!」ということになってしまいます。もちろん、厳しい状況の中で生きていらっしゃる人たちを応援する政策を作ることは大切ですが、原理と特殊なケースをごちゃごちゃにしてはいけません。
 
▼制度の見直しより、心の改革を
 今、年金制度とか介護保険の見直しがされていますが、「家族は保護尊重すべきである」という視点がなければ、恐ろしいことになります。
 ゼロ歳児保育にかけるお金は、家の中でしっかりと赤ちゃんを育てていらっしゃるお母さんに、児童手当てとして何倍も支給すればいいのです。
 年金もそうです。だれでもたくさんもらえたほうがいいと思います。けれども、国もある意味で「家族」だと考えた場合に、もっと違う角度からどうあったらいいのか見ることができます。
 介護保険はもらったほうが得、一割負担だから、一時間百何円払えば来てもらえるという発想をします。それで軽い介護の必要な方たちがお手伝いさん代わりに使うケースが、残念なことにすごく増えているんです。
 日本の法律では、親は子を扶養する義務があるけれども、子供は親を扶養する義務はないわけです。「親を養う義務」の一言を政策に入れたら、年金も社会保障の議論も、もっと違ってくる。制度を見直しても、家庭のありようと心が変わらなければ、税金を注ぎ込んでも、焼け石に水でしょう。
 家族の基本、「家族は保護尊重されるべきである」という一行を憲法に入れ、教育基本法には、「家庭教育は大切である」と入れて、そのように教育していったら、日本は変わると思うのです。
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