参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会で佐渡島に視察にまいりました。 |
委員会のメンバーと、曽我ひとみさんとお母さんのミヨシさんが拉致された現場を見ました。 |
昭和53年8月12日の夕刻、当時19才と46才の親子が悪夢のように連れ去られた現場です。ほとんど風景は当時と変わっていないということですが、車も人も割合に通るところでした。 |
新潟県警、新潟県から説明をうけ、意見交換しました。県からは、北朝鮮は再調査せず、今ミサイル発射まで準備している。追加制裁も含めて検討してほしいとの要望を聞きました。 |
曽我ひとみさんからは、現在の生活と母親への思いなどをうかがいました。 |
娘さん二人は日本語も覚え、それぞれ県内の学校を卒業して、夢に向かって進んでいるが、デリケートな日本の深い部分、日本の社会の仕組みがまだ理解できないので、良い友達が出来ればいいと願っているという母親の気持ちを語られました。 |
“1回でわからなければ、10回教えてもらいなさいと教えています。これからもっと大変なこと起きると思います。” |
胸にしみる言葉でした。 |
また、佐渡市の老人ホームで働いている曽我さんですが、毎朝働きに行って、母親のミヨシさんと同じくらいの方々のお世話をしながら“母にもいろんな世話をしてあげたい”と思わない日はないといいます。 |
一日でも一時間でも早く解決され、母を温泉に連れて行きたいと話され、早く親子のブランクを取り戻したいと願いました。 |
佐渡は人口6.6万人、沖縄に次いで日本で2番目に大きい島です。 |
東京23区の1.5倍の面積の島にお寺は280寺、能舞台は32、金北山(1172m)は雪をかぶっています。 |
承久の乱で佐渡配所になった順徳天皇の仮宮(黒木御所、ここで22年間過ごされ46才の生涯を終えられた)日蓮聖人(2年半ほど過ごされた)のゆかりの寺などしみじみとした歴史を感じる島です。 |
曽我ひとみさんの帰国直後の言葉 |
“人びとの心、山、川、谷、みんな温かく美しくみえます。空も土地も私にささやくお帰りなさいと。頑張ってきたねと。だから私もうれしそうに帰ってきました”はたびたび思い出しますが、佐渡の風景と歴史にはぐくまれた言葉であるとも思いました。 |
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平成21年3月16日 山谷えり子 |