喪中のお葉書が、毎日のようにポストに届く季節となりました。親や夫を亡くした友人の名を見ながら、喪失の痛みを抱きながら生活する姿を想像します。 |
33才で父を失い、52才で夫を失った私は、その早すぎる別れを悲しみました。いえ、今も悲しんでいます。 |
けれども、時間がたつにつれ、父や夫が私の内側で生き生きと生き直し始めていることも同時に感ずるのです。不思議なことです。 |
明治42年生まれの詩人坂村真民(さかむらしんみん)の詩に「かなしみ」というのがあります。 |
かなしみは |
わたしたちを強くする根 |
かなしみは |
わたしたちを支えている幹 |
かなしみは |
わたしたちを美しくする花 |
かなしみは |
いつも枯らしてはならない |
かなしみは |
いつも湛(たた)えていなくてはならない |
かなしみは |
いつも噛みしめていなくてはならない |
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先日80才ちかくなって夫を亡くした大おばが、私にこう言って下さいました。 |
「こんなに悲しいなんて。えり子さんは若くしてこの悲しみによく耐えられたのねぇ」 |
私はお答えしました。 |
「ゆく年の 悲しみ抱いて 大掃除」 |
喪失の悲しみがあるということは、豊かな絆で結ばれた日々があったということ。 |
せつなさと感謝を胸に、少しずつ年の瀬の大掃除いたしましょう。 |
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平成19年12月14日 山谷えり子 |