若葉の美しさを味わいながら、玉川上水の近くを散歩することがあります。 |
玉川上水は、江戸時代、百万人の江戸の人々の飲料水となったことで知られていますが、工事には玉川庄右衛門と清右衛門の兄弟の力があったとされています。 |
1653年幕府から六千両の大金を渡され、工事をスタートさせたのはいいですが、工事が思うようにはかどらず、責任感の強い兄弟は自分たちの家や田畑をすべて売って工事費とします。 |
しかし、それも底をついて労働者の人々は給金がもらえないなら掘ったものもこわしてしまうという乱暴を言う人まで出ます。 |
兄弟はお金を工面するため頭を下げ回り工事を続けてもらおうとしますがうまくいきません。 |
とうとう労働者の前で庄右衛門は頭を下げます。「堀は私のものではない。江戸の人々の生命の水。何十年先かに誰か引きついでくれる人もいるかもしれないのでこわすのはやめてほしい…」 |
心をうたれた労働者は、再び働き始め、玉川上水は1年かけて、ついに約50キロが完成します。 |
モラロジー研究所が作った道徳教科の中にある読みものですが、散歩をするたびにこの話を思い出します。 |
そして、もう一つの話も思い出すのです。 |
和歌山にいた庄屋さんが、津波がくるのを山の下に住む村人たちに知らせるために刈り入れたばかりの稲むらを燃やし、それを見た村人が山をかけ上がり結果的に村人たちが助かったというお話ですがかつては国語の教科書に載っていたものです。 |
“滅私奉公”を時代遅れの心のように笑う時代は淋しいことです。“忘己利他(もうこりた)”自分のことを忘れて他人のために利することをするのは、なかなか出来ないことだけに美しいことです。 |
道徳や国語だけでなく、英語や社会や音楽の教科書も心を育てるテーマのものをたくさん載せていただけたらと思うのです。 |
|
平成19年5月13日 山谷えり子 |