メッセージ(バックナンバー)

 ゆとり教育を見直して詰め込み教育に戻すのですかとマスコミに質問されることがあります。
 私は、「いいえ、そのような振り子のような考え方ではありません。よく学び、よく遊ぶ。ゆとりを忘れず、学べる時には基礎をしっかり、反復学習を軽視しないように。また世阿弥や千利休が説いた“守破離”という教えも大切ですね」と答えたりいたします。
 「守破離(しゅはり)」とは、鍛錬や芸の道の修行について言われることですが、“守”とは、先生の教えをひたすら反復学習、繰り返して型を身につけること。“破”とは型を破り、工夫を凝らして独創性、オリジナリティを追求すること、そして、“離”の段階で、型に縛られず、自由で自在の境地に遊ぶという芸道、武道、茶道などの芸道論の中で、今も大切にされ実行されている考え方です。
 年令と段階にふさわしい学びがなければ個性も育たず、名人の境地は望むべくもありません。良き先生に出会い、基礎を身につけることがあってのひとり立ち、忍耐と謙虚さを土壌としてこその花と果実ですものね。
 
 節分が過ぎて、我が家では、もうおひなさまの飾りつけです。
 今年の節分は“鬼は外”はやめて“福は内”だけにしました。このところ鬼より人間のほうが恐ろしいと思うこともあったり、人間の悪や怠けをやっつけてくれる鬼も大切にしないといけないかと思ったりで…。
 小さい庭に、今年も越前水仙が花をつけてくれました。福井のふるさとを恋しがる私のために数年前、夫が球根を植えてくれたものです。
 “東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ”(菅原道真)ではありませんが、夫が“春な忘れそ”と心に春風を吹き込んでくれるようです。
 “立春大吉 船屋の前に 赤き泛子(うき)”(池上樵人)リッシュンダイキチ、リッシュンダイキチ、春の陽ざしに向かって、ちょっと胸をそらせてつぶやいてみました。
 
 教育再生会議第一分科会で、教育委員会が不適切な状態にある場合(未履修問題やいじめをめぐる対応など)文科相に勧告権限を付与することなど、責任ある教育行政が行われるようとりまとめを行いました。
 伊吹文科相が国会で「教育委員会が指導に従わなかった場合、どうするかの権限が(文科相には)ない」とたびたび答弁なさっていらっしゃいましたが、責任ある体制づくりは、国民の求めているところと思います。
 また、教育再生会議の提言を受けて、5日、文科省は、児童生徒指導のあり方の基準を通知しました。
 >> 詳細をこちらからご確認いただけます【PDFファイル】
 殴る、蹴る、長時間の正座や直立は体罰にあたるので禁止するが、授業中に立ち歩く子には叱って席につかせたり、先生や生徒への暴力に対し制止行為をしたり、教室で騒いで授業を妨害する場合は、教室の外に出すことや、授業中に携帯電話を使う子は、一時的に携帯電話を預かるのはかまわないなど教師が毅然とした指導ができる基準を明確にしたものです。
 通知の見直しは60年ぶりのことです。教育再生会議の第一分科会で報告しました。こんな常識的なことすら出来なかった教育の現場の非常識は、改めて教室と学校に規律をとりもどして子供たちを守るのは、大人の役目と思います。
 授業中に携帯電話をする子がいるので、携帯電話を預かろうとすると親が“余計なお世話だ。預かるならその時間の基本料金を先生が払え”と学校に抗議するケースもあると聞きます。給食未払い問題も同じですが、先生と教育を大切に思う心、感謝の心をとりもどしたいものです。
 愛と使命感をもって、子供たちを指導下さる先生を皆で支えていくことが、当然なことなのに、改めて必要とされる時代になってしまっているのですね。

平成19年2月5日 山谷えり子

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