メッセージ(バックナンバー)

10月20日
 皇后さまが70才のお誕生日を迎えられました。
 皇太子妃雅子さまへのお気遣い、ご成婚のころのお気持ちなどをお述べになられた言葉に胸をうたれました。また、元ハンセン病患者を慰問するなど福祉問題に深いお心を寄せてこられた皇后さまの「自らが深い悲しみや苦しみを経験し、むしろそれゆえに、弱く悲しむ人々の傍らに終生よりそった何人かの人々を知る機会を持ったことは、私がその後の人生を生きる上の指針の一つとなりました。」のお話も心に止まりました。
 といいますのも、先日、娘が学校で教わったというハンセン病院で終生働かれた井深八重さんという女性のことを、私に話してくれたばかりだったからです。「井深八重さんという女性の生き方を知り、ショックをうけたの。明治30年生まれの八重さんは、英語の先生をしていた22才の時にハンセン病と診断され、病院に隔離されたの。当時、そこはただ死を待つ場所、ところが一年後に誤診とわかる。ふつうの生活に戻っていいと言われるのだけれど、八重さんは、そこで働く病院関係者、また笑顔で応える患者たちの姿に、愛をもって生きる人々の美しさを見て、むしろ終生を看護婦としてその病院で生き続けることを選ぶの。ナイチンゲール賞を受賞なさったりするけれど、終生控え目で自分を語らず92才で亡くなられたのだけれど、働く八重さんの写真は、喜びの表情で輝いていたわ。小さな病院で起きたこの出来事は、大きな奇跡。心のありようで、人の生き方は深くなるのね」という話でした。

10月21日
 児童虐待、ネグレクト、母親から無視されて餓死した16才の少女の生命のことを考えています。体重は3才児並みの13キロだったといいます。
 ここまでひどいケースでなくても、日本も親から声をかけられない、抱きしめられない子どもたちが多くいる国となってしまいました。
 かつて、マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく、無関心・無視。笑いかけてあげて下さい。抱きしめて下さい。」と言われた言葉がよみがえります。
 10年ほど前、知人からこんな話をききました。アメリカの高学歴夫婦が論文を書くことに夢中で幼な子を抱きしめることを忘れて働いていた。そのうちその子は食べ物をうけつけなくなり、やせ細り、病院に運ばれた。病院の人は、その幼な子のベッドを廊下にすえ「ナンシーちゃんといいます。声をかけてあげて下さい。心と時間に余裕のある人は抱きしめて下さい。」と張り紙をしたところ、ナンシーちゃんはしょっちゅう名を呼ばれ、抱かれ、みるみる表情をとりもどして太っていったという話です。
 幼な子だけでなく、母性を感じられる女性を育てるために、孤独な母親を抱きしめるかのような言葉やほほ笑みを周囲の人々が贈り合うことも大切だと思います。年子で3人フーフー言いながら育てていた頃の私に、街で見知らぬ人が「大変でしょうけど、今が人生の華の時よ」とか「抱かせて」と声をかけてくれたことが励みとなり喜びとなったものでした。

10月20日・21日
 参議院予算委員会が朝9時より5時すぎまで開かれました。
 三位一体改革、政治とカネの問題がマスコミでは主に報道されていますが、安全保障、外交、青少年健全育成、環境、社会保障、中小企業、ベンチャー育成、食の安全・・・など幅広く議論されました。

平成16年10月21日 山谷えり子

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