メッセージ(バックナンバー)

 この季節になると、二人の昭和のスターの存在を思います。
 美空ひばりさんが亡くなられたのは平成元年6月24日、そして石原裕次郎さんは昭和62年7月17日、共に52歳で亡くなられました。
 テレビ番組で芸術芸能コーナーを担当していた私は、美空ひばりさん担当でした。長女がお腹にいた頃、ひばりさんは私のお腹をいつも撫でて“歌の上手な子になあれ”と祈り笑うのでした。
 長女が生まれた時、誕生を手紙でお知らせすると、すぐ返事が返ってきました。“おめでとう。今日、私は40度近い熱がありましたが、静岡での公演を終えてきました。幸いお客さまには、私が熱があることを気づかれずにすみました。美空ひばりには代わりがいませんもの。よかった。帰宅したらお誕生のお知らせ。うれしかった、おめでとう”という内容でした。
 有難さと、ひばりさんの華やかな中の孤独な頑張り、責任感、使命感を、思うと胸がつまりした。今でもその使命の大きさが体を痛めたのではないかと思います。
 石原裕次郎さんには、父が良くしていただきました。ハワイで食事に招かれた時、裕次郎さんは父のために“シンペイ・ヤマタニ”と記した特製マッチを作って、さり気なくテーブルに置いておかれたのです。父は、ビックリ、そして大喜び。その時のマッチは小樽の石原裕次郎博物館に飾られています。
 どうしたら人に喜んでいただけるか、ヤンチャに、そして大マジメに思っておられる方でした。
 梅雨の空をあげては、お二人の豊かすぎる笑顔を思います。
 そして・・・
 あじさいの花、くちなし、泰山木の花を見ながら昨年の今頃、夫と飲もうと思って梅酒を作ったことを思い出します。“10月になったら飲めるわね”といっていたのに、夫は8月に亡くなってしまいました。生きていれば今年の6月18日で57才です。

 年金改革は、むしろこれからの課題の大きさを国民の皆に感じさせました。これからは、役人まかせでない、本格的な社会保障の議論が始めやすくなったと思います。
 6月1日の朝刊「朝の詩」に38歳(女性)の「夫婦げんか」という詩が載っていました。
主人の不満をばあちゃんに言う
「それは夫婦げんかか」と私に聞く
「一度でいいからけんかしたかった」
とばあちゃんが答えた
じいちゃんはけんかする間もなく戦地に行った。
 読みながら胸がつまりました。事務所スタッフに夕食の席で読みました。皆それぞれの思いで一瞬沈黙・・・年金がもらえて夫婦げんかが出来るのは幸せなことなのかもしれません。

平成16年6月12日 山谷えり子

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