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- 今度ご主人が総理になられ、お父さま(鈴木善幸元総理)と比べて、どのような感想をお持ちですか。 |
父は人に手柄をあげて実をとるというのでしょうか、自分は縁の下の力持ちに徹して確実に物事を進めていく人でした。第二次臨時行政調査会(1981年)を発足させ、今日の行財政改革につながる土台を作ったことは、父らしかったと思います。 |
主人の場合は4回目の挑戦ですからね。総理になって間もないですから、父と比べることはできません。一つ、父もそうでしたけど、総理在任中は一日中、国民や政治のことを考えていて頭が冴えて眠れないようなんです。ですから、夜は私が父に指圧をして寝かせていました。 |
主人も総裁選挙の頃から眠れない日が続き、今でも40分くらい指圧をしています。いびきが聞こえて、ああ、寝たなと。疲れて帰宅した主人の背中を押しながら、「本当に大変で苦労しているんだな」と思うと、父の背中と重なり涙が出てきたことがありました。2人の背中から同じものが伝わってくるんですね。 |
- 麻生総理とのなれそめをお聞かせください。 |
ちょうど父が総理大臣の時でした。1年生・2年生議員の方を家にお呼びして食事をする親睦会をしばしば開いていました。その中に主人もおりました。父は岩手県出身なので、地元の海のものが豊富で、母や私の手作り料理で皆さんをもてなしていました。 |
ある時、ナマコが出たんです。主人はナマコがまったく食べられない。母は「召し上がれ」「召し上がれ」ともてなすのですが、主人は苦手なナマコをそっと遠くに置くんです。すると母が「おいしいのにどうして召し上がらないの」って。それを3回ぐらい繰り返して。覚悟を決めて飲み込もうとした時に、私が「お嫌いなものをムリに勧めちゃ悪いわよ」って母に言ったらしいんです。それで主人は「おっ、天使が現れた」と思ったんだそうです。ですからナマコがきっかけです。 |
- ちか子夫人は麻生総理にどのような印象をお持ちでしたか。 |
「俺のどういうところが気に入った」って聞かれましたので、「まあ、不良っぽいところかな」って。「それなら間違いない。任せておけ」と。結婚したら本当に不良でした。 |
主人は、若い時『平凡パンチ(当時の若者向け雑誌)』のモデルをして親に怒られたとか。夜遅い時、木に登ってそっと2階の自分の部屋に帰ってくることを続けていたら、ある日おばあさまに木を切られて、登る木がなくてびっくりしたとか。ともかくいろいろなことを経験していますから、噛み応えのある、とても魅力のある人だと思います。 |
- ご結婚後、すぐに麻生総理の地元に行かれましたが、印象はいかがでしたか? |
私たちは1983年11月3日に結婚しました。ところが1ヶ月後の衆議院選挙で主人は落選。「亭主は無職」ということになりました。その後すぐに地元に移り住みましたから、本当にゼロから、皆さんと接することができました。見知らぬ私を皆さんが受け入れてくださって。次の選挙まで2年以上ありましたが、その間に人間関係がすごく深まりました。 |
いわゆる政治家の女房と支持者ではなく、人間としてつながりができたような気がします。「そこに」私が実際に住み、家庭を持ち、子供を産んで、しっかりと根をおろせば、主人も自然に「そこが」拠点になります。落選は主人にはつらかったでしょうが、その経験は本当に良かったと思います。 |
自由民主党 月刊女性誌 りぶる(平成21年1月号)より |
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