メッセージ(バックナンバー)
 夫の妹たちがマドレーヌ・マルローピアノリサイタルを企画実行いたしました。
 家族で足を運んだのですが、マドレーヌ・マルローさんは94才のピアニスト。夫はアンドレ・マルロー(1901〜1976仏作家、ド・ゴール政権で文化相を務める)。
 親日家としても知られ、伊勢神宮を訪ねたり、日仏会館オープニングの時は、大統領補佐官として来日したりもなさいました。
 そのためリサイタルはチャリティで日仏会館やエリザベス・サンダーズ・ホーム、二葉乳児院(四谷)に寄附いたしました。
 自由学園明日館講堂と東京文化会館小ホールで開かれたコンサートはエリック・サティやプロコフィエフ、ドビュッシーを弾きながらエリック・サティ文集(岩崎力翻訳、白水社出版)を朗読するというオシャレな企画でした。たとえば

私が若かったあいだじゅう、人はこう言ったものだ - 五十歳になったらわかるよ。私は五十歳になった。なにひとつわからなかった。
芸術家はたしかに尊敬に値する。しかし聴衆はもっとそうである。
聴衆は『退屈』を崇める。彼らにとって『退屈』は神秘的であり深遠なのだ。
奇妙なことに、退屈にたいして聴衆は無防備である。退屈は彼らを手なずける。
人々を楽しませるより退屈させるほうが容易なのはなぜだろう?
1. ドビュッシーのみを崇め完璧に模すべし
  2. 実際にも意図においても旋律の美を求めてはならぬ
  3. プランはつねに控えよ、よりたやすく作曲できるように
  4. おおいに入念に破るべし古い初歩の諸規則を
  5. 連続する5度を作るべしオクターヴについても同じこと
  6. 絶対に解消してはならぬいかなる不協和音もけっして
  7. いかなる曲であれけっして協和和音で終わってはならぬ

といった具合。
 作詞作曲をしていて、エリック・サティが大好きな息子に聞くと
“そうだよ、サティの曲は5度の連続(ド、ソやミ、シ、ファ、ド…)が多いし、協和和音で終わらないんだ。
 だから普通の西洋音楽とは違うニュアンスがあるんだ。でもそれでも和楽にはかなわない。
 日本の和楽といえば、ドとレの間に一万もの音がつまっているんだから。“能の謡、美空ひばりの歌なんて音譜にはできないよ”
 う〜んなるほど。実はピアノリサイタル中、私もふとそんなことを感じたのでした。西洋音楽はドレミファ…と表現できるからこそ、その制約の中でしか表現できない。
 明治になって私たちはチントンシャーン、トテチテ…や笛の音、つつみの音、しょうの音という和楽を忘れて、西洋音楽の音で音楽を語ってしまってきたなあ、と。
 レセプションでは、リサイタルの中で朗読をしてくださったフランソワ・マントレさんが“日本の能を尊敬しています”と言って、お能の謡曲のひとふしをうたってくださいました。日本の音の艶のみごとさにうなりました。
 リサイタル最後の曲は、エリック・サティのワルツ、そして朗読は

 一年には十二ヶ月しかありません。したがってどんな善意をもってしても、私はこれ以上予言をつづけることはできません。くり返すのでなければ。
   ですから私は読者のみなさんに、このうえなく良いお年を、言い換えれば、私が私自身のためにそうであってほしいと願っているような年をお祈りしながら、ペンを置くことにします。良い年を願うという点で、私はけっしてけちったりはしません。
   男の方も女の方も、ご長命で、とても豊かで、とても幸せにお暮らしになりますようお祈りいたします…お伽話のように…

 男の方も、女の方も、ご長命で、とても豊かで、とても幸せにお暮らしになりますようお祈りいたします…お伽話のように…
 私は横にいる80才の母に、ちょっとふざけてこのフレーズを繰り返しました。母は笑いました。
 そう、私たちは、心の向き方次第でお伽話のようにとても豊かにとても幸せに生きることができる。少なくともご先祖さまたちは、そう願ってくださっているのではないでしょうか。
  というわけで、翌朝は、とびきり早く起床して、お伽話のように生きなければと、冬支度のためのお掃除を一生懸命いたしました。

平成20年11月2日 山谷えり子

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