メッセージ(バックナンバー)

 先週は、郡山、京都、山梨を回りました。京都は迎賓館と京都御所で、説明を受けました。日本の文化の深さ、ものづくりの心と技、そして京都御所の中の祈りの場に立ちつくし、感謝しました。
 日本の底力の源といえるものです。ブッシュ大統領夫妻がお泊まりになられた迎賓館では、ローラ夫人がその文化の奥行きの深さに驚嘆されたといいます。
 山梨は昭和7年創立の日本航空学園の創立記念日に招かれました。富士山のそばの中学、高校、専門学校生、約800人の行進は見事というしかありません。
 それぞれのクラスの先頭の学級委員長は「○○市立中学校出身○○さん」と出身中学までアナウンスされ、誇らしそうに手を振りあげ、つま先をきちんと蹴りあげて背筋を伸ばして行進です。
 全国からパイロットや整備工目指して寮生活をしている学生たち。スポーツもトータルでは日本一だそうで“礼節、忍耐、質実剛健、文武両道”をかかげる学校の教育に親は感謝し“これがわが子?”と寮から帰宅するたびに、その成長に感動してしまうとか。
 どの子もそれぞれのふるさとを背負い、夢をもって集まって行進している姿にジーンときていると、横におられた森喜朗前総理が私の顔をのぞきこみながら“泣けるだろう?教育の力ってすごいねぇ”と言われました。鍛える、教える、鍛えられる、教えられるとは何と素晴らしいことでしょう。
 その後、富士山のそばまでモーターグライダーで飛行しました。
 40人のモンゴル留学生のために、モンゴルからミスモンゴルが激励に来ていました。“今日は山開き。3776mの美しい富士は日本のシンボル”と私は胸を張って説明しました。留学生のためにミスモンゴルを派遣するなんて、教育熱心で粋な国です。
写真:日本航空学園にて
 帰宅すると、娘が“お母さん、橋本元総理が亡くなられた”と悲しそうに言いました。
 橋本、小渕両元総理が初当選したのは昭和38年11月。(ケネディー大統領暗殺の前日で、実は私の父もその時一回限りの出馬をしたのでした。)41才で入閣、51才で自民党幹事長、当選14回とはとてつもない精進とエネルギーです。
 私は記者時代、厚生行政と薬価問題、国鉄問題で何度か取材しました。まだ女性記者が珍しい頃で“どうしてそんなこと聞くの?”などと私の質問をからかったり、面白がったりしてくださったものでした。
 “土光行革、橋本行革、そして今回の小泉・中馬行革”と、私は地方講演のたびに、行革の歴史を語っていました。経済財政諮問会議を創設し、首相権限の強化を考えた人でもありました。
 種まきする人と収穫する人は、しばしば同じではありません。大きな組織、大きなプログラムほど、種まきした人と収穫する人は別人であったりします。
 平成になってから総理大臣はしばしば変わります。
 竹下総理(S62〜H元)・宇野総理(H元.6〜元. 8)・海部総理(H元〜3)・宮沢総理(H3〜5)・細川総理(H5〜6)・羽田総理(H6〜6)・村山総理(H6〜8)・橋本総理(H8〜10)・小渕総理(H10〜12)・森総理(H12〜13)・小泉総理(H13〜)
 どの総理が良き種をまいたがゆえに、その後良き収穫があったのか。
 どの総理が困った種をまいたがゆえに、今も後始末に苦しめられているか。
 良き種をまいたはずなのに、歪んだ育ち方をしてしまっているものもあります。
 一人の総理が良き種、悪い種を時代の運命のもとにまくこともあります。
 政府に入ってマスコミの評価とは別の評価のあること、政権の連続性という重みをしみじみと感じているところです。
 ご冥福を祈ります。

平成18年7月2日 山谷えり子

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