メッセージ(バックナンバー)

 88才で亡くなった祖母の13回忌のため、母と3人の子どもたちと福井に帰りました。コシヒカリの収穫の田を走りながら私は子どもたちに“この稲、この山、この風…体中で感じて。ここがアナタたちのふるさと。DNAの記憶の泉”と何度も言いました。あまり何度も言うので、子どもたちから“お母さん、わかったよォ”と笑われてしまうほどでした。
 祖母が慕っていた僧侶は読経のあと“有縁の人の集まり。ご縁によってつながれてきたことを知ること、おかげさまの心をもつことがより良く生きることになります。ご先祖さまがあって、両親があり、そして私がいる。おかげさまの心。このことを今日改めて感じていただければ幸いです”と言われました。
 長男は“いいお話だったね。親戚の皆で聞くと、余計に実感するね”次女は“私、この頃、あのお話にあったようなことを考えてばかりいたの。だから不思議な気持ちと、ナットク、ナットクと思ったわ”と言いました。
 お墓まいりをし、子どもたちと草むしりをした手に、土と草の匂いが残っています。今日の記憶が子どもたちの中に美しく残るよう祈りました。

 祖母について以前書いたエッセイを紹介します。
〈祖母の死〉
 祖母が八十八歳で亡くなった。
 福井県の鯖江という街で生まれ、七人の子を産み、三人の子に先立たれ、鯖江の中で暮らして天に召された。
 仕事で近くに行けば立ち寄り、話をするようにしていたが、八十六歳まで仕事を持っていた祖母は、いつも陽気で忙しそうだった。骨粗鬆症が進行していた祖母は、亡くなる二年ほどまえから、「骨が痛い」「長生きするのもたいへんなものや。いつ、どんな形でお迎えがくるのかね。自分で選ぶわけにいかんのやしね。
 ほんでも、なるべく早いほうがうれしいと思うんや、最近は」と、わたしに言うようになっていた。不自由な手で季節の果物をむいて待ってくれている姿は、いくつになっても“人に与える”人生を生きているかに見えた。
 「街の人にはできるだけ好かれるよう。洋服も一つの店だけで買うたらあかん。趣味の悪い洋服屋やったら、ストッキングや下着を買うたらええ。そうやって、まんべんのう付き合うんや。人も店も、どっかいいところあるもんやで」と、幾度も近所付き合いのこつを話してくれた。
 「○○さんは放送局やで、大切なこと言うたらあかん。どんな風にふれ回られて多くの人が傷つくかわからん」とも語るリアリストであり、小さな街で暮らしていくうえでの知恵者であった。
 人に迷惑をかけることを嫌がる祖母は、最期の入院にも自分でタクシーを頼んでひとりで出向き、三週間後に帰らぬ人となった。
 
 意識不明になった祖母に、わたしはたくさんのわらべ歌をうたってきかせた。
 「おばあちゃん、ありがとう。今のわたしの人格の一部は、明らかにおばあちゃんが作ったものよ。」
 歌の合い間に声をかけると、わずかに口をゆがめて笑うかに思われた。病室の窓からは、祖母の故郷の山々が眺望できた。
 ふと、マザー・テレサが来日されたときに残された言葉がよみがえってきた。
今着ているものより、もっといいものが着たい
今日の食事より、もっとすてきな食事をしたい
現在の家より、もっと広いところに住んでみたい
もっともっといい暮らしを。
そのことが父親の頭の中にいっぱい
そのことが母親の頭の中にいっぱい。
子どもに友だちがひとり増えたことを知らない
もうひとりの子どもが新しく覚えた遊びを知らない
ふたりの子どもも話さない。
四人ともそれぞれの時間が増えていく
その分、向かい合うお互いの時間が減っていく。
いちばん身近にいる人のほんとうの悩みにも、喜びにも、苦しみにも
気がつかなくなっていく
いつもすぐ近くにいる人のほんとうの姿が見えなくなっていく。
愛のスタートは家族、ほんとうに愛して、ほんとうに愛されて家族。
 祖母は、わたしがどんなことをしたかを喜んで聞いてくれた。特にどんな失敗をしたか、わたしがいかに愚かかを喜んで聞いてくれた。目を細めて、大笑いして、「えり子は、しょうがないのう、あきれたのう」と言い、わたしはそれを聞くと無条件にいやされた。
 祖母の愛の力だったと思う。
 お調子者のわたしは、話しはじめるとおもしろおかしく脚色をして、自分を大悪人に仕立てあげすぎることもあったが、そんなときは祖母も一段と調子を上げて、「ああ、あきれた、あきれた、あきれたのう」と大声をあげ、わたしは過ちがゆるされたように思えた。
 祖母の愛に無条件に寄り添っていたわたしは、ともに時を過ごす中で喜びと希望に満たされ、ふたたび活力を得られたことを改めて感謝した。
 山のふもとの静かな火葬場で、祖母は小さな骨となった。
 骨を拾うとき、そのあまりの小ささと、鳥の羽のような軽さにめまいがし、何度目かの嗚咽に身を震わせていると、「お年でしたからね。特に背骨と腰骨は骨粗鬆症が進んでいますね。痛かったろうと思いますよ」と、係の人がぽつりと言った。
 意識不明で横たわっているかに見える祖母を、床ずれ防止のためにときどき寝返りをさせたのだが、そのたびに「痛い」と大きな声をあげたのは、たったそれだけの行為でも骨が折れるほどに弱っていたのであろうか。
 「よくしゃべったよね、おばあちゃんのあごの骨。頭の回転が早かったわね、頭の骨。よく歩いたわね、足の骨。よく働いたわね、手の骨…。」
 お骨を一つ一つ拾うたびに二十も三十も思い出がよみがえり、体の芯がしんしんときしんだ。

 ところで、最近のニュースでは100才以上の皆さまが2万5606人おいでになられるとか。長寿が恵みあふれたものでありますように。

平成17年9月15日 山谷えり子

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