メッセージ(バックナンバー)

 フジTV報道2001で過激な性教育とジェンダーフリー教育の特集があり、出演しました。視聴者からTV局にも私の事務所にもたくさんのFAX、メール、をいただいています。息が止まりそうなほどむごたらしい実例があります。
 親だけでなく、祖父母からも“うちの孫が…”と寄せられています。すべてに目を通しています。集計し、分析し、常識的な状態に戻していきたいと思います。本当にたくさんのお声や資料、有難うございます。引きつづきどうぞよろしくお願いします。
平成17年5月1日 山谷えり子

 大分県中津市「子供を守る親の会」主催で講演をしましたが、20年間にわたって教科書問題をチェックし続けておられる市民の皆さんが多数おられて驚きました。その尊さに感謝し、希望にみたされました。
 中津はターヘルアナトミア(解体新書)誕生の地、そして福沢諭吉が、モラロジー(道徳科学)の創建者廣池千九郎博士が育った町です。信念をもって、コツコツと時代に先がけて問題をつかまえる人材を生み出す土地柄なのでしょうか。むしろ私が「子供を守る親の会」のみなさまから、たくさんのことを教えていただきました。
 諭吉の育った家を訪ねると藤の花が庭先に咲いていました。
“藤棚に 風ひかり吹き 諭吉邸”
“藤の房 ふたつ寄り添ひ 風の中”
 ちょっと一句よんでみました。
 庭先には諭吉の母のエピソードとして「近所にしらみだらけの女の子がおり、諭吉の母はその子を見かけるたびに呼び寄せて、50匹、100匹と取ってやった。そして終わると、取らせてくれてありがとうと言ってこの場で握りめしをもたせてやるのでした」という説明板がありました。いいお話です。
 もうひとつ、近くに「邪馬渓」という場所があります。35年ほど前、リュックを背負って訪ねたところです。「青の洞門」という教科書にものっていたお話を確かめに行ったのです。
 どんなお話かといいますと、江戸時代、霊場羅漢寺に参拝する岩道が難所で、多くの人が命をおとしていました。そこに旅のお坊さん禅海さんが通りかかり、岩山をくりぬいて道を造り、お参りを安全にできるようにしようと決意します。360メートルもある岩山をくりぬくと言うので村人はあざ笑うだけで本気にしません。実は禅海さんはご主人を殺し、逃げ回り、ある時思うところあって仏の道に入った人です。
 人を救いたいという思いで、ノミで岩を砕いて1年、2年、3年…村人たちは理解を示し、手伝う人も出ますが、あまりの難事業に皆あきらめ18年の歳月がすぎます。禅海はやせ衰え、目はくぼみ、ボロボロです。ある日一人の武士がやってきます。禅海に殺された父の仇を討とうと探しあててきた実之助です。禅海は“覚悟はできています”と答えます。
 それを知った村人たちは“洞門をくり抜き終えるまで待ってもらえないか”と頼みます。やむなく実之助は禅海の仕事のそばで見張り続けます。そのうち、自分も手伝ったほうが早いと、共に掘りはじめ、1年半、禅海が掘り始めて21年目、ついに洞門は貫通します。破られた穴から射し込む月の光の前で、2人は涙します。そして禅海は「約束です。斬って下さい」と言うのですが、実之助はもう斬ることなど出来なくなっていたというお話です。
 禅海は1774年80余歳の生涯をその地で終え、禅海堂にはノミなどの遺品があるということです。ゆっくり時間があれば、今度は子供たちと訪ねたいと思いながら帰宅すると、末娘が「母の日」だからと私の好きな料理を作ってくれていました。
2005年5月8日 山谷えり子

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