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解答乱麻「語り継ぎたい献身の足跡」
平成16年8月29日 産経新聞
 
 「一生の終わりに残るものはわれわれが集めたものではなく、与えたものである」と言われた恩師の言葉を思い起こしながら、この夏、イラクから帰国された復興業務支援第一次隊員とご家族のお話を聞いた。
 昨年の夏に、私は国会からイラクに派遣され、五十度を超す暑さの中で日本にふさわしい復興業務を調査してきたので、サマワでの活動報告には感無量の思いがした。
 部隊は、治療技術指導にあたった医官、学校や道路、遺跡などの補修、給水活動にあたった隊員、広報官など、いずれも専門家の集まりだったため、佐藤正久隊長は、リーダーシップをとるというより専門判断に基づいた任務を各機能の長が円滑にとれるよう配慮されたという。
 また現地の人々に対しては“サマワは私の第二のふるさとと思って働く”と約束し、特に日本らしさを心がけたという。「日本らしさとは?」と私が問うと、日焼けなさった顔をほころばせ、「笑顔。心を開いてもらうこと。互いに知恵を出し合って良い方法を見つけること。親切、ていねい。ユーフラテス川にこいのぼりをあげたときは、日本の伝統や文化、子供の育ちを願う共通の思いを現地の人と語り合いました」と答えられました。
 奥様が、横から「日常生活のビデオの中でも皆さん、いい笑顔。ほっとしました」とつけ加えられた。
 他の隊員たちからも「役に立てて光栄」「なぜ日本は現地の人とうまくいくのかと他国から聞かれた」「主権移譲後は、地方自治のあり方を懸命に伝えた」などの言葉があり使命と共にコミュニケーションに尽くされた様子が伝わって頭が下がった。
 そして、ふと平成五年、カンボジアPKOに参加して帰国されたときの渡辺隆第一次大隊長の言葉が思い出されたのである。
 われわれは道路と橋を残した。しかし、放っておいてスコールにさらされれば、いつか崩れてしまう。形あるものは、いつか壊れる・・・汗を流しながら作業をしていた隊員の姿を現地の子供たちに見てもらった。その光景は永遠に語り継がれるものだと思う。形にはならないが、それがわれわれが残してきたものではないか」
 今回、サマワで作られた橋に佐藤隊長が辞退したにもかかわらず“サトウブリッジ”とサマワの人々が命名したと聞く。汗を流して橋を作った光景を、その心を、語り継ぎたいとの思いからだろう。こうした国家と国際協調、国益、平和について考えさせられる話は日本の子らにもっと語るべきではないだろうか。
 汗といえば、この夏の福井豪雨に約一万人のボランティアが復旧作業に汗を流した。県内中高生が夏休みを返上し、また半世紀ぶりの恩返しにとかつての水害被災地から駆けつけたグループもいた。
 半世紀前の記録に「終始熱心なる真面目なる言動に感激。作業以外にも多くの足跡を残して帰る」とあったことからという。汗する姿、献身の足跡は、思いがけぬ形で伝わり、残っていくことを希望をもって信じたい。

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