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解答乱麻「家族の応援団長だった夫」
2003年9月8日
 
 この夏、夫(共同通信社海外部部長)が突然の事故で天に召された。脳死状態の中、私たちは日々その温かな体にかぶさり、おしゃべりをした。
 二一歳になる長女が「神さまなんかいないと叫び狂ったけれど、今日は体が死んだくらいで私たちは離れるわけないと思えてきた。いい子を産み育てることがお父さんが一番喜ぶことだよ。みんなもそうしよう」と言えば、十九歳になる長男も言った。「ほめてくれる人がいない人生なんて無意味と思えた。でも、これだけ愛してくれたことが記憶にあるのだから、僕が社会人になり、家庭人になった時、オヤジのマネをしていけばいいんだ。スケートが滑れずみじめだった時に、スケートよりココアがおいしいよとココアをくれたオヤジ・・・これからの人生はオヤジとの愛が深まるばかり」。
 次女は「私、まだ十七歳。ひどすぎ。だけど人と違っていることがあったら、それを大切にと言ってたお父さん、立派になるからね」と、キスをした。
 家族という絆の中で、奇蹟のように輝く日々を与えられていたことに改めて気づいていく静謐な時間が与えられたことに感謝せずにはいられない。
 夫の異変を知ったのは衆議院の調査団員としてイラク、アフガンを回り、成田に到着した時だった。戦争と内乱で家族を失い、医療や教育の不足で子供たちが十分育ちえない状況に心を痛めつつ空港に降りると、長女が滂沱たる涙を流して立っていたのだった。
 夫婦して記者だったため、早朝深夜、土日出勤をやりくりし、保育所に入れず家事、育児の戦友として過ごした日々。塾を経営しているのかと思われたほど子供たちの友人がたくさん集まるわが家で、名コックだった夫。世のため人のための報道をと願いつつも、互いの仕事ぶりをからかい合った日々が病院に向かう車の中で思い出された。
 地雷の埋まるイラクに発つ前“ロバート・キャパ(インドシナ戦線で地雷に触れて死んだ報道カメラマン)を気取るなよ」と、ニヤリとして見送った夫なのに。彼のほうこそマスコミ最前線で五六歳で戦死してしまった、とうらめしい。家族一人一人の応援団、私にとっては最強の応援団長だった。
 来年度から政府は家庭教育支援施策を重点的に盛り込み、文部科学省は高校生を対象に子育て講座を新設する。今の社会に必要な応援である。しかし、すべての原点は家庭にあり、子にとって、最高の教師は親である。
 「王様であろうと、農夫であろうと、自分の家庭で平和を見いだす者が最も幸福な人間」とはゲーテの言葉だが、わが家の場合、子供たちは夫の笑顔と献身の姿の中に、愛と幸福の本質を直感し、そのバトンを受けて、将来の自分たちの家庭づくりへとつなげていくのだろう。
 家族を最初の階級対立ととらえたり、家庭において目指すべき姿を“家事労働、育児等に対し経済的評価を与えること”(水戸市男女平等参画基本条例)などとする自治体の動きも昨今はあるが、家族の本質と日々の営みはもっと豊かで複雑である。
 この世は、悲しみと残酷さに満ちていると同時に、あまりにももったいないない恵みであふれている。

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