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今の時代に 適切な宗教教育を
あけぼの 2002年4月号 「時」の動き 第4回
 
「宗教的なまなざし」を
 中央教育審議会で、学校での宗教教育のあり方が論議されています。また、新しくスタートする学校での総合的学習の時間の中で、国際化や環境問題、福祉、人権教育といったテーマに本気で取り組むためには、「宗教的なまなざし」というのは避けては通れないと思います。
 私がかつて編集長をしていた生活情報誌で、アメリカ中枢同時テロについて、家族で何を最も話し合ったかを五百人にアンケートしたところ、一番が宗教・民族問題について。続いてテロ・戦争について。そして、いつどこで何が起こるか分からない世の中、人命の尊さについて、という集計結果となりました。最も話し合われたのが“宗教・民族問題”であったとは意外な感じがします。コメントには“教育の大切さをかみしめた。愛情をもって子供に接したい”“毎日笑顔で「行ってきます」をいう”“世界平和を強く願うようになった”“今を大切にしたい”と謙虚に、一瞬一瞬を大切にしなければならないと言う思いや、愛を与え合うことこそ生きる意味であることを悟った様子もうかがえます。
 こうしたことを受けて、過日、私は広い意味での宗教的な教養教育や宗教的情操心を育てる教育が現代の公教育現場に必要ではないか、と衆議院文部科学委員会で訴えました。
 教育基本法九条は「宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とし、第二項で公教育では「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と、一定の枠をはめています。つまり、特定の宗教のための教育は公教育ではしてはいけないけれど、宗教がもっている普遍遠視的な価値や人々の信仰に由来する生活文化や伝統文化の特質を伝えることまでをも否定しているわけではないのです。
 けれども戦前の宗教教育を政治的に利用した不幸な記憶があって、教育現場ではこの解釈をめぐっておかしなことが起きています。
 衆議院の委員会の席で、私は目に見えないものの背後にある尊いものを推しはかる教育、宗教的情操心をはぐくむ教育が失われていることを指摘したところ、遠山敦子文部科学大臣は、学習指導要領で「人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める」ことが掲げられていることでもあり、ねらいとしている精神をくみ取って、教員が十分勉強されて取り組んでもらいたいと答弁されました。
生きることを喜び 愛する力を深めるために
 イギリスでは、週に二時間から三時間、公立学校での宗教教育を義務づけています。ドイツも二時間から四時間、カトリック、プロテスタント、それぞれの宗教や倫理学などを自由意志で選んでやらせています。
 日本の学校現場では、手づくりのみこしを運動会でかつぐことにも文句が出たり、修学旅行先としての寺や神社、教会が遠ざけられ、説明がなおざりにされるといった行き過ぎた現状があります。京都や奈良への修学旅行はこの十年で半減し伊勢神宮へは昭和五十年に比べて八分の一となっています。娘が修学旅行で長崎いったとき、私は「せっかくだから、自由行動で永井隆博士の如己堂と教会へ行ってみたら」勧めました。娘は永井博士の本を読んで感動し、下調べをして、旅行では友達を連れて如己堂へ行ったのですが、友達は興味を示さず、すぐにハンバーガーショップに行き、長崎の思いではテーマパークの長崎ハウステンボスとハンバーガーで終わりました。先生があらかじめクラスの皆に永井先生の人生を紹介し、連れていってくださったらよかったのに、と残念です。キリスト教のための宗教教育としてではなく、無限の深みを持っている人の生き方と心のありようを教え、宗教的情操心を育てる良い機会であるのにと、もったいなく淋しく思いました。
 私は、公立小学校のPTA会長をしていたとき、保護者に地元の神社の由来を講演したり、放課後の子どもたちに地元の寺で僧侶から生命についての話を聞く、教会のコンサートで地元の人々と交流する、などの自由参加プログラムを提供したところ大変喜ばれました。町の歴史、宗教文化にふれながら生活を見つめ、大きなものに包まれて在る自分を感じることは、子どもたちの心を朗らかにします。神を感じる感性がなければ、バッハの音楽の良さも分からないでしょう。
 百科事典を読むように、宗教は読んで理解できるものではありません。総合学習の時間や放課後の自由参加活動に、地元の人や保護者、宗教関係者は教育委員会、学校と何ができるか意見交換をしてほしいと思います。
 また、来年から公立でも宗教に関する副読本をつくることになっていますが、宗教者は積極的にアドバイス役買って出てほしいと思います。というのは、百科事典のような解説本が副読本になったら子どもは受けつけられません。信仰者の目が必要だと思いますし、宗教者自身も出前教師となって、子どもだけでなく先生や保護者と語り合う場を作るべきだと思います。きちんとした宗教者であるなら、特定の宗教の押しつけ教育ではなく、情操心を育て、普遍的な尊い価値を教える宗教教育はできると思います。
 本来は、家庭できちんとすべき宗教教育ですが、今は核家族が多く、日本社会が無宗教化しています。宗教はオカルト、金もうけなどいかがわしいものと思い込んでる子もいます。せめて学校や地域社会で伝えないと、クリスマスの意味も知らずにパーティで騒ぐだけの若者や国際化時代にあって異文化への無知をさらけ出す若者が増えてもいくでしょう。
 現在、キリスト教徒が世界で十五億人、イスラム教徒が十一億人、ヒンズー教徒が七.五億人、儒教系の人が三.七億人仏教徒が三.五億人いるといわれています。 世界のそれぞれの国の生活は宗教と深い関係があります。日本の子どもたちには、適切な宗教教育のチャンスが与えられ、規範意識を高め、生きることを喜び、異なる生き方を理解して、お互いに愛する力を深めてほしいと思うのです。

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