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巡礼の道と修学旅行
「正論」産経新聞社 2001年7月号
 
 熟年層や退職者の間で、四国巡礼がちょっとしたブームである。友人の独身女性も定年後ひとりで四国巡礼をしてきたとエピソードを語ってくれた。 「スタンプゲームのような雰囲気でスタートしたのに、最終コースでは道がピカピカ光ってきて最後の寺では法悦というのかしら、有難さで涙が出た。信仰心のないこの私がね」というのである。
 ヨーロッパでも“サンティアゴへの道”というのが再注目され、年間五十万人以上の巡礼者が訪れている。コースはヨーロッパ最初の教養的旅路ともいわれており、中世からはエルサレム、ローマと並んでキリスト教三大聖地となり世界遺産に認定されている。もっともある時期には諸国の犯罪者に対して“牢に入るか、サンティアゴに巡礼するか”を選ばせたいという険しいみちとしても有名である。
 二十代で四国巡礼をアドベンチャー気分で踏破した私は、四十代の終わりに、今度はそのサンティアゴを歩いてみたくなり、一部である八〇〇キロを巡礼してみた。フランスの国境から入ってピレネー山脈を越えてフランシスコ・ザビエルの城、イグナチオ・ロヨラの城などを通り、二〇キロメートル間隔で建つ教会で巡礼スタンプを押してもらいながら、キリストの十二使徒のひとりの聖ヤコブの墓のあるスペイン西部サンティアゴ・デ・コンポステラの教会に向かうというものである。
 本当の巡礼は、徒歩か、自転車か、馬かの三種しか認められていないので、私のように途中でバスを使って、また歩いて、という人間はインチキ巡礼者なのだが、それでもノルウェーやハンガリーからも山脈を越え、寝袋や着替えを背負い、ボランティアの方に食事を提供してもらい、杖をついてひたすら歩く老若男女のヨーロッパの人々と歩くのは面白かった。一ヵ月以上かけて歩いている人や毎年少しずつ休みをとって距離をつないでいる会社員。朝の四時からセッセと歩き出す姿などは四国巡礼の人々の姿とも重なってみえる。
 最終地のサンティアゴの教会広場はスペイン語、フランス語、ドイツ語、英語と各国の言語が飛び交っており、それぞれの国と民族の歴史を背負った人々が、アメリカ文化とは違う味わいを感じさせてくれたものである。
 巡礼は、千年、二千年以上の長い人間の歴史の光と影を踏みしめつつ進んでいく中で、自分自身の中の生や死が逆照射されていくことでもある。歩きながら、死の方向から現在の自分の生の一瞬を見つめる感覚が自分の中で一日一日育っていくことは新鮮な喜びでもあった。
--閑話休題
 この時期は三児の親である私にとって、授業料を払い終えたと一息ついたところに、やれ修学旅行費用だ、夏の合宿費用だと二度目の出費の波が来る時期である。そうして大いに不満なのが、全国的に見られる傾向として修学旅行先を子供たちに決めさせることである。子供の自主性の尊重とやららしいが、選ばれる人気の場所はディズニーランドやユニバーサルスタジオといったテーマパークである。我が家の子供も宮崎シーガイアに長崎のハウステンポスなどに行ってきた。かっての定番であった、京都、奈良はなかなか自主的には選ばれなくなっている。
 日本の長い歴史と文化、人々を育んできた宗教的情操心に思いをいたすことよりも、テーマパークのほうを選んでいくことに何の不思議も感じない多くの教育責任者は、どんな人間観や教育観を持っているのであろうか。
 フェラガモやエルメスといったブランドの持つ歴史と時間を愛する日本の若者に、それならば日本の人々の刻んできた長い瞬間のひとつひとつの物語を語りかけ、自分自身を千年前から千年後まで想像上で移動させてみることがどんなテーマパークのアトラクションよりスリリングであることを示していくことは、大人の素晴らしい役目であると思うのだが。

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