「山谷えり子のちょっとブレイク」 |
掲載エッセイ |
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ほんわりポエム |
片づけものをしていたら、昔子どもたちが書いた詩が出てきた。 |
うちのママはひょうきん者だ
いつも笑って、泣いて、転がっている
でもやることはテキパキ
なんとかしこい人生だ |
…と、これは末娘が十歳のころに書いたわたしの七転八倒の描写。思わず苦笑いしてしまった。親はバタバタしているのに、子どもというのは案外冷静なものである。子どもの冷静さを面白く思ったらしく、それに続けて、わたしのメモで他の子の詩も書き加えられている。 |
ぼくのはつこいはママちゃん
かえっこんしようときめた
まっててねっていった
ママちゃんは、小学校にいったら
すきな子できるよっていった
そんなことないよ ママちゃんが
一ばんすきだよっといったよ
なのに小学校にいったら、すぐにすきな子ができたよ
なまえは僕とママちゃんのひみつ
ママちゃんごめんなさい
ぼくはママちゃんとけっこんできません |
…と、これは小学校二年生のよこえなお人くんの詩。いやはやクールなものである。お父さんについての詩もある。小学校一年生の大堀俊介君の詩で。 |
おとうさんがぼくに
しゅんすけは誰と結婚するんやときいた。
僕は、お母さんと結婚するねんというた。
あんなおばはんのどこがええんや、
お父さんはわかいのがええわとゆうた。
それでもお母さんがええわというたら、
おれのおんなに手を出すなといった。
あほらしくて話にならない。 |
クールさもここまでくれば、吹き出してしまう。心あたたまるよびかけもある。 |
「かあちゃん」「かあちゃん」
なんべんいうて ええなまえや
わたしも かあちゃんになるんやで
ね!わたし かあちゃんみたいにふとらんねぇ |
…と、これは小学校三年生のすがいゆり子さん。母親の立場となれば、かあちゃん かあちゃん、何べん呼ばれてもええなまえである。小学一年生赤木一夫君はこう記す。 |
おかあちゃんが
きをつけてねといった
ぼくは はいいってきますといった
おかあちゃんのこえが ついてきた
がっこうまでついてきた |
おかあちゃんの声を体に抱いたまま学校まで行く子どもたち。そのくらい体ごと愛してくれていると思う。親冥利につきるというもの。せつなくて、それでいてあたたかさを感じさせる詩もある。知人の先生が教えてくれた小学一年生の女の子の詩。 |
いやだよ、おとうとが、わたしのおもちゃを
なめたり かんだりするから すごくこまるよ
そんなときは わたしはおこって おとうとをなかせます
なぜってつばがついて うごかなくなるから
そしたら、こんどは
わたしがおかあさんに おこられます
わたしはベットのはしっこで ねむたくなるまで ないています |
子どもの感性に心を添わせ、お互いほんわり暖かさをいただきましょ。 |
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