プレスルーム

「山谷えり子のちょっとブレイク」
掲載エッセイ
 
卒業式
 卒業式のシーズンが近づいてきて、知人の卒業委員をしているママたちは走り回っている。「さよならだけが人生さ、じゃないけれど、あっという間の中学生活だったわ」と、多くの一人っ子のママは感慨深げである。私といえば三人めの末娘が“ヤレヤレやっと義務教育修了”といった感じで、ホッとした感が強い。卒業アルバムについて何か書いてほしいと頼まれて、小学生時代の自分の卒業アルバムを久々に取り出してみた。
桜 福井の城跡の前の古い木造校舎をバックに、照れくさそうな表情のひとクラス五十人ほどの生徒たちのなかに、一段と照れくさそうな私が映っている。池田勇人内閣が所得倍増計画をうたってしばらくしての時代だが、まだ豊かさの実感はなく、友人たちの洋服のヒジはテカテカに光り、そで口は鼻汁をふくためにパリパリし、兄弟のお下がりやら、つぎあてやらで、体にフイットしていない服を着て整列している姿はほほえましい。男のコたちは坊主頭が多く、女のコたちはおかっぱ頭で、当時の私たちは着るものやヘアースタイルには全く無関心だった。昨今では卒業アルバム用の写真を撮りますと言おうものなら、子どもたちはファッション、ヘアースタイル、撮影場所からポーズにいたるまで自分と自分のクラスらしいメッセージ性を演出しようと燃えるが、何という違いであろうか。
 中年になって、中学、高校の同窓会に出席すると、卒業アルバム持参で参加してくるクラスメートが何人かいる。私たちは名を名のり、アルバムのなかの写真と小じわのある本人とを確認照合し、学生時代のエピソードを思い出して、からかい合ったりする。
 幸せだった小学生時代に比べて、私の中学・高校生時代は父の失業、母の失明と転校とでうっ屈を抱いたものだった。たび重なる引っ越しで卒業アルバムも紛失してしまい思い出したくない事が多い暗い時代だったから「私、暗い顔してるでしょ」とアルバム持参で出席した友人に言うと、その友人は私の写真を見つけて「そんなことない。ピカピカの若さと希望に輝いた顔しているわ」と私の写真を指した。“ああ、そうだったのか、自分で思うほどには暗い顔していないのか、良かった”とホッとしつつも、当時の自分を直視する勇気がなく、見るふりをして目を泳がせてしまった。
 写真のなかには、恋心を抱きながら思いが伝わらなかった友や、学生運動のなかで亡くなった友もいる。いつになったら、中学、高校時代の卒業アルバムを見つめてほほ笑むことができるのか……まだまだ時間を必要としそうな気がするのである。 わが家の子どもたちは、私のようなうっ屈があまりないとみえて、卒業アルバムをたびたび嬉しそうに開く。転校したために“転校前の学校のアルバムもほしかったのに…”と私に抗議してくる子もいる。
 「思い出にひたりたいなんて変な子ね。若いときは未来を見て走らなきゃ」など言おうものなら「ママのようにヒネクレてないもの」「先生や友人がよくしてくれた思い出が元気をくれる」「好きな音楽や好きな絵を見るのと同じ。つまり気持ちいい体験でハッピーになるわけ」という答えが返ってくる。
 卒業アルバムを宝物と思えるなんて何と幸せなことだろうとまぶしく感じつつ、自分のねじれぶりに苦笑いしてしまうのである。

< < プレスルームインデックスへ戻る

山谷えり子事務所
〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館611号室
TEL:03-3508-8611/FAX:03-5512-2611