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 産経新聞に「命のビザ」で敦賀港に上陸したユダヤ人難民の動向について地元の人との交流の様子が記事となっていました。
 
 「命のビザ」結んだ交流
■ 少年がリンゴを贈り、ユダヤ難民は腕時計換金…
 第二次大戦中に杉原千畝・駐リトアニア領事代理が発給した「命のビザ」で敦賀港(福井県敦賀市)に上陸したユダヤ人難民の動向について、地元の郷土史研究家らのグループが市民らに聞き取り調査し、報告書にまとめた。少年がリンゴを贈り、難民が腕時計を換金するなど交流の様子が明らかになった。
 これまで、難民らの上陸直後の記録はほとんど残っていないが、地元には以前から、果物いっぱいのかごを少年が難民に差し出したとの逸話があった。調査の結果、この少年が妹の話などで当時13歳ぐらいの男性(故人)と判明。貿易商の父親は青森からリンゴを仕入れるルートを持ち、篤志家で知られたという。
 また、難民が換金した女物の腕時計も見つかった。父親が時計店を経営していたという女性(82)は「ユダヤ人が空の財布を広げ、食べ物を食べるしぐさをして、身に着けているものを売りに来た」と証言した。
 このほか、「ボロボロのズボンに針金で巻いた靴を履いた人がいた」「あかだらけで、(銭湯が)無料で風呂に入れたが、掃除に苦労したと聞いた」など、長旅をしてきた難民らの様子が証言から浮かび上がった。
 グループの古江孝治さん(57)は「難民らは市民の温かさを感じてくれたと思う。命を大切にしてきた歴史を伝えていきたい」と話し、今後も調査を続けるという。
 杉原氏はナチス・ドイツに追われたユダヤ人に独断で日本通過のビザを発給。6000人以上の難民が1940〜41年に、シベリア鉄道を経由して敦賀港から入国。その後、神戸や横浜から米国などに渡ったとされる。

平成20年1月6日 山谷えり子

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