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十一月二十八日、午前零時四十分。意識が突然戻る。 |
弟が「痛い?」と、きくと、 |
「大丈夫、痛くない」 |
「寒い」と言うので、毛布をかけてあげると、ニッコリ笑って“オーケー、オーケー”と手を振る。そして、とうとうこれがこの世に残した父の最後の言葉となってしまった。 |
衆議院議員の選挙で落選し、住みなれた福井から東京に移り住まねばならなくなった時、泣いて悔しがる私たち家族に、父は微笑して“どん底でほほえむこと。どん底の微笑は美しい”と、言ったものだった。その父の最後の言葉がニッコリ笑って“オーケー、オーケー”とは!人間とは神になれる存在なのかもしれないと思う。 |
午前三時半。呼吸が荒くなる。 |
医師が、脈と血圧をとりにきて、 |
「いよいよダメかもしれません。すべてが弱っています」と、言う。 |
白い枕には、洗髪したばかりのロマンスグレーの髪が輝いている。身にまとっているのは濃茶のパジャマ。一番お気に入りだったこのパジャマは、父の体温を含んで、いかにも暖かそうに呼吸につれて上下している。子供たちは、このパジャマ姿の父に何度抱きしめられたことだろう。 |
瞼はうすく開いているが、瞳は力を失って灰色である。じっと虚空を見すえている……いや、何も見えてはいないのだろう。無表情な瞳。三時間前の確かな弟とのやりとりが嘘のようだ。燃えつきるロウソクが、最後の炎を高くあげるように、父は、懸命に看病しつづけた弟のために、その炎を燃やしたのだろうか。 |
六日前、管を食いちぎろうとして、グラつかせてしまった前歯が、ちょっと歯並びを狂わせている。いつもパイプのいい香りのする口元だった。張りのある声を出すためにと毎食後磨きつづけた歯も、これでもう用済みなのだ。 |
上がっていた体温が下がりはじめ、脈が目に見えて弱くなってくる。呼吸が少しずつ少しずつゆるやかになる。母と弟と私は、ベッドの右と左から父を見つめ続けた。誰も動こうとしない。誰も何も言わない。 |
肺に血液がたまってきているらしい。肺の循環不全が進む。 |
「ああ、もう目に力がない」 |
母が、うめくようにつぶやく。 |
医師は心臓マッサージと気管支切開をしましょう、と言う。そうすればあと少しは生きのびられるという。弟がきっぱり断わる。あと少し生きのびられたとて何の意味があるだろう。 |
「いたずらに延命手段は講じないでほしい」と言っていた父だ。父はもう十分すぎるほどに戦った。 |
突然、コホンコホンと四回セキが出る。 |
そして、呼吸はそれきり止まった。 |
あっ気ないほど静かに、自然に、父は死の世界へとすべり込んで行ってしまったのだ。 |
死亡時刻、午前六時三十八分―。 |
いつもなら分厚い資料をかかえてラジオのスタジオに入る時刻。最後まで朝の男を貫き通したかったのだろうか。ついに力尽き、遠くへ旅立った父。 |
「もう、ダメなのですね」 |
「ハイ」 |
「かわいそうに。真面目な人が…なんでこんなに…」母の声は、ますます細い。 |
母は、そっと父の瞼を閉じる。 |
波乱に満ちた六十二年間、父が見つづけてきたすべて、父の正義感、愛、喜び、悲しみは、これで永遠に消えてしまったのだ。 |
私は、足をさすり続ける。こうしてさえいれば、またその足でこの世へ戻ってきてくれる気がしてならない。本当に死んだのだろうか。まだ温かい父が、ここにこうしているのに、それはもう父ではないなどということがあるのだろうか。理解できない。私には全く理解できなかった。 |
弟は、廊下に出て号泣。弟も私も、父の染めあげた“継続は力なり”の手ぬぐいを首に巻いていた。 |
この一週間の看病は、父が私たちにくれた最高の贈り物だった。私たちが、いかに仲の良い家族であったかを、誇り高く確かめさせてくれた…。しかし、今、その一番中心であった人は逝ってしまったのだ。最も楽しく輝いている思い出が、今は最もつらい思い出となってしまう。 |
一家でクリスマスの飾りつけをしたこと、父の手料理で開いたパーティ、夕食後の散歩、雪国で一家協力してやらねばならなかった毎日の屋根の雪おろし。何ともったいないくらい楽しいことばかりだったのだろう。なんと私たちは笑いながら過ごしてきたことだろう。思春期の頃ふっかけたケンカの思い出さえ懐かしい。 |
私は自分が二児の母であることをすっかり忘れ、ただの父の子であり、その父がいなくなって、途方にくれるみなし子のような気持ちだった。すべてとりかえしがつかないなんてウソだと誰かに言ってもらいたかった。 |
灰色の雲が横一文字にたなびいている。朝日でそれはシルバーグレーに輝いていた。見事な銀杏の落ち葉が歩道に舞い散っている。空は少しずつ光を加え、やがて普通の朝になる。人々は急ぎ足で歩いている。寒い。誰も父が死んだことを知らない。誰もこの病室の静かな絶望を知らない。 |
安らかな永遠の眠りについた父の前に、大きな力が私を粉砕する。幸せというものはその中にいる時はわからない。誰でも一度は越えなければならなに愛する肉親の死。しかし、世の多くの人が越えてきているこの痛みが、これほど酷いものとは知らなかった。 |
廊下に食事を運ぶ音が聞こえてくる。生活は始められているのだ。人間が生きている音が、私を辛くさせる。いち早く葉を落として裸木となった樹が、ツンと空にそびえている。いっそ、その枝で私の心臓を突き刺してほしい。そうすれば、私もこの悲しみから逃れられるのに。 |
朝七時、ニッポン放送から『お早ようニッポン』のテーマミュージックが流れる。父の代わりにピンチヒッターをつとめて下さっている方の声で、いつものように放送がはじまる。まだ父の死を知らされていないらしく、冗談を混じえた口調。弟は、撫然としてスイッチを切る。 |
座りこんでしまった母と私を横目に、弟が突然怒ったような顔で動き回りはじめる。まず、廊下に出していた見舞いのバラの花束をすべて運び入れ、父の体を花束で囲む。花の好きな父は、きっとわかっているはずだ。 |
「いい匂いだね」 |
父の魂は、こう言いながら、薄くなった身体から流れるように、今、空へと飛び立っているのだろう。狭くてイヤだった病院のベッドから、高く高く飛びあがっているのだろう。パイロットだったのだもの。操縦はお手のものだ。東京の空を旋回しながら、ラジオ局に行き、スタジオのマイクにちょっと残念そうに手をふって、毎日泳いだプールにあいさつし、赤坂の自宅に飛び、孫たちにほほ笑みかけ、そして、私たちのいる病室にもう一度舞いもどってきて、まだ泣きつづけている私たちに言う。 |
「まだ泣いてんのかい。人間、いつか死ぬ。しゃあないよ」 |
午後一時、テレビの記者会見。 |
濃密に生きた一人の男の生と死を知ってほしいと会見にのぞむ。が、結局、何も言えない。 |
「お父さんの庶民感覚はどこから来ていたと思いますか」 |
「家庭ではどんな人でしたか」 |
「同じマスコミで働く父と娘。何を教わりましたか」 |
答えるべきことは山ほどあるが、何を語っても不正確にしか父のことを伝えられない気がして、結局うまく言えない。 |
唯一、私が言えた確かなことは、 |
「父は、マスコミ戦線で壮烈な戦死をしたのだと思います。 |
これだけだった。… |
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