メッセージ(バックナンバー)
 木原光知子さんが亡くなられました。
 木原さんが大学生の頃、水泳部だった私は日大のプールをお借りして強化練習などをご一緒させていただきました。
 年齢は2才上、オリンピック入賞者の木原さんは、速いだけでなく、明朗でファイターで頭の回転も良くて人格者で私などプールの中でも、陸に上がった時でも、仰ぎ見るように、いろいろなことを吸収させてもらっていました。
 あの頃、私にとっては、木原さんが自由の女神みたいに見えていたのです。
 それから社会人となり、日本水泳界のリーダーとなった木原さんとジャーナリストとなった私は、仕事でも時々ご一緒しました。プールでも時々一緒でした。
 私の陣痛が起きた時も一緒で“あっ、何かへん。病院に行ってきます”とプールからあがった私に、木原さんは“水泳部の根性見せて。痛いとか、助けてとかみっともない叫び声をあげちゃダメ。ウンともスンとも言わず、産んでくるのよ”と声をかけてくれました。“ハイハイ、先輩。ガッツ見せて出産します”とプールをあとにした私…
 最近は、近所の中華レストランでたまたまバッタリ。久しぶりでした。
 私が“この店、亡くなった夫が好きでね。私の元気がなくなると、良くここに来て、いっぱい食べろって注文したんです。今日は娘が、母さんこの頃パワー足りないみたいだから行こうと誘ってくれて。”と言うと、木原さんは“最近なんだか難しそうな仕事しているんじゃない?食べて、元気に。またこの店でパッタリ会えたらね”と昔のままの瞳の明るさで元気づけの声をかけてくださいました。
 それにしても、水泳の仕事中に倒れられたなんてミミさんらしい。
 天国でもあの声で水泳指導なさるのかしら。ご冥福を祈ります。
 
 教育再生の説明を今週は島根の保育園関係者、山梨で専修学校、各種学校関係者、福井で青年会議所、ロータリークラブの皆さんなどにいたしました。ヤンキー先生こと参議院議員になられた義家弘介先生とも一緒に出張し、地方の人や中学生、先生たちとも意見交換。皆さん期待をしてくださっています。
 そんな席で、帰ろうとすると、中学生の男子がハンカチをひろげて“導”と書いてくださいと言いました。
 私は“導”と書き“何故この字を書いてほしいの?”と聞くと、“来年生徒会長になるんです。だから、書いてほしかったんです”と答えました。すがすがしく嬉しくなりました。

平成19年10月19日 山谷えり子

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