メッセージ(バックナンバー)

 ここ数年、日本とイスラエルの関係は冷えていましたが去年から貿易額も伸び、新しいパレスチナ議長が選出され、変化が起きています。そこで5日から13日まで、野呂田芳成、玉澤徳一郎元防衛庁長官のもとイスラエル議員連盟メンバー、経済界要人とイスラエルを訪ね、関係者と意見交換してきました。期間中、パレスチナ自治政府議長の選挙の日に、イスラエル大統領とお会いし、シャロン政権新連立内閣スタートの日に産業貿易大臣、国会の議長、外務大臣とお会いし、国会本会議で特別に日本の議員団の訪問歓迎、第2次世界大戦の際の杉原千畝日本外交官がユダヤ人を救うために特別にビザを出したことへの感謝の気持ちが述べられるなど、また新しい中東情勢の変化が感じられる中で、充実した視察・意見交換が出来たのではないかと思っています。
 イスラエルの面積は四国と同じくらい。ユダヤ人514万人、アラブ人151万人(ユダヤ教徒76.6%、イスラム教徒15.3%、キリスト教徒3.8%、ちなみに世界の中のユダヤ人は3,000万人)という国です。1948年イスラエル建国からパレスチナとの争いが絶えず、1993年アラファト議長とラビン首相の間でオスロ合意がなされましたが、今も和平への道はまだまだです。現在、男子は18〜29才のうち3年、女子は18〜21才のうち2年間徴兵があります。

6日
 イスラエルのIAI(イスラエル航空機工業)を訪ねました。イスラエル最大の防衛企業で国防省傘下にあり輸出品の35―50%を担当、世界最先端の技術をもっている企業です。ミサイルディフェンスシステム、地雷除去システム、1メートル毎にサーチして沿岸にあるあやしげなゴムボートまでレーダー探知できるシステム、原子力発電所や空港などの防衛システム、手のひらに乗り1Lほどの重さでの無人偵察機(現在イラクで使われている対テロ偵察機)など最先端技術の説明をうけ、工場内部を見せていただきました。
 湾岸戦争の時は化学兵器がうち込まれるのではないかとの恐れから、国民にガスマスクと解毒用注射が配られ、密閉した部屋を各自が作り、TV、ラジオなどでガスマスクをつけろという指示があったと通訳の日本女性が言っていましたが、近代の戦争というものは、過去や予想から常に裏切られる部分があり、常に何歩も先を見て開発している実態を垣間見ました。
 今、パレスチナ・イスラエルはwindows of opportunity(機会の窓が開いた状態)。しかしテロリストを一掃し、責任あるパレスチナ政府の樹立はまだ見えず、シャロン首相の案にはイスラエル・パレスチナ双方で不信感があり、今年の夏からのガザ地区からのイスラエル入植者の引きあげが始まる見通しは予断を許さない状況です。

7日
 テロリストの動きをエルサレムから封じこめる位置にあり、有事の際は要塞にもなる壁に囲まれた新都市マアレ・アドミム市長と市内見学。パレスチナ人をユダヤ人が仲良く働いている大理石研磨工場を見学。社長は「共に働く場所を作っていくことが大切。パレスチナ人の多くはテロが嫌い。平和が好き。私は金儲けだけのために工場を経営しているのではない」と言っていました。昼はキブツの農場を見て、幼稚園や学校見学。イスラエルは教育レベルが高い国として知られています。農業を集団でやりながら見学したところは220家族、300人の子供たちが砂漠の中に水を引き、50年がかりで一大コミュニティーを築いていました。イスラエルには、社会的、経済的に独立した自治体であるキブツが250あり、約12万人が住んでいます。以前は私有物を認めませんでしたが、今は価値観の再検討が行われ、農業以外にもITや製造、サービス業を営むなど多様化が進んでいます。
写真:イスラエルにて エチオピアからのユダヤ人移民の子供たちと
 続いて、マサダの要塞(紀元70年に15,000人のローマ軍に追いつめられたユダヤ人約960人が3年間篭城し、最後に女2人と子供5人を除いて全員が自決した場所)400メートルに登りました。民族の悲劇と自立への思いの物語は今も語りつがれ、ユダヤの小学6年生は、急な砂漠の山を今も登り、国と民族について学ぶということです。近くには多くのミネラル分を含むことから美容と健康面で人気が高まっている死海があります。マイナス419mの死海と近くにある温泉は老若男女の健康づくりの場になっていました。温泉議員連盟の委員の私としては要チェック。高齢社会は積極的なこうした健康づくりの場をもっと国内に準備していくことも大切と感じます。ちなみに向こう岸にヨルダンを見ながらの浮遊体験は、旧約聖書の世界に引き込まれるようで「人はどこから来て、どこへ向かうか」をひたすら考えてきました。

8日
 朝早くホテルを出発し、シリア国境近くまで約3時間車を走らせ、ゴラン高原にUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)プログラムの自衛隊員を訪ねました。第18次隊メンバー45名はオーストラリア、ポーランド、カナダ、スロバキア隊と共に、停戦監視をすることにより中東の平和維持に貢献しています。地雷の埋まる中を走って到着したゴラン高原ですが、マイナス47mから2814mまでと高低、気候差共に激しい所での仕事で、現在は安定した情勢とはいえ、ご苦労なことが多々あると思います。けれども皆さん志気高く、立派な働きぶりで各国から評価されていました。
 ゴラン高原のプロジェクトは30年間にわたり、8カ国のべ5万人が貢献し、PKOの学校ともいわれているものです。現在18次隊の平均年令は33才と若々しく、徳永勝彦隊長は「中立性を重んじること、相手の文化を尊重しながらのつきあい方、国際センスやコミュニケーション力がみがかれることなど、隊員たちは学ぶことが多いと同時に、日本の良さもつくづく感じる。日本の事件のニュースを見ると今の日本人は何かを忘れてしまっている気もする。“誇りをもて日本”と叫びたい思いがすることがあります。微力ながら中東和平につくしている自負をもち、緊張感を保って働いていきたい」と言われました。この地で長年日本隊が働いていることが、どれほど中東問題に貢献しているか、日本にとってプラスとなっているか、マスコミは報道しなくなっていますが、感謝しながら宿営地を離れました。
写真:ゴラン高原にて 第18次ゴラン高原派遣輸送隊 徳永隊長、後藤副隊長と

9日
 PLO議長選挙の日、エルサレムでは中心部でデモが少しありましたが平穏でした。
 カッアブ大統領を表敬しますと「近年5年間のテロの凄まじさは本当にひどかった。今日選挙で選ばれる新議長を信じ、尊敬を表明したい。新指導者がテロを辞める決意をすれば中近東に新しい夜明けくると思う。日本がパレスチナ側に援助していることに感謝しているが、その金がテロのために使われぬようチェックしてほしい。天皇陛下に宜しくお伝え下さい。イスラエルにいらしてほしいと思います。」とおっしゃられました。
 会見部屋には、シャガールの絵が何枚も飾られていました。つづいてイスラエルに移民として入ったユダヤ人のための移民受け入れセンターを訪ねました。世界のユダヤ系の人々よりの寄附金で運営されているNPOで、エチオピアに住んでいたユダヤ人(母親がユダヤ人か、ユダヤ教徒か)移民のための施設です。
 シロモ・モラさん(36才)に話を聞くと、「17才の時に友人とエチオピアを出て祖国イスラエルに向かうため、砂漠やジャングルを歩いて(6日間で780H)スーダンまで入ったが、そこで捕まって3ヶ月間収容。その後イスラエル当局に助けられ移民センターへ。大学に行き結婚し、間もなく2人目の子供が生まれます。エチオピアではユダヤ人とは黒人と思っていましたが、イスラエルに来て白人のユダヤ人がいるのを知って驚きました。」とのこと。教室を案内してもらいました。文盲の人がコンピューターを使うまでに1年間かけて学習します。教室で、夢は何ですかとたずねると、「祖国イスラエルで家を買い、働くこと。それは自分のためでなく子供たちのため。子供たちがこのイスラエルの地で教育を受けてとけ込んでいってほしい」と、年配の男性がひたむきに答えられました。マラソンのアベベ選手のような顔をした方が「自分はユダヤ人、祖国イスラエル」と言われるのを聞きながら、中東問題の複雑さを改めて実感しました。
 午後はホロコースト博物館へ。600万人が殺され、うち150万人が子供という現実。イスラエルの若い兵士たちがたくさん見学に来ていました。

10日
 オルマート首相代理、産業貿易大臣との会談。しばらく冷え込んでいた日本とイスラエルの経済関係を、特にIT、バイオ、ナノテクの分野で共同研究することに対しての意見交換をし、アインシュタインが創始者の一人であるヘブライ大学に移動し、日本文化センターの設立記念式典に臨席。同大学で、一番人気のある授業はなんと日本の昭和史(シロニー教授)で600人もの学生が受講して立ち見も出るという話を聞きました。資源のない日本が、欧米列強の力の狭間でいかに生き残ろうとしていくかの壮絶な歴史が、イスラエルの若者の心を打つそうです。
 居合いを見せていただき、赤とんぼなど日本の美しい歌をイスラエルの若者が歌ってくれました。日本の指圧を学び盲目の人たちに技術を教えて自立の助けになればと働いているエランという青年とは思わず話しこんでしまいました。ヘブライ大学に留学している日本の若者たち10数人ともお会いすることが出来ました。3時間以上話しこみました。時にキブツで働き、イスラエル理解と日本のために貢献していき人格を完成させていこうという姿勢と思いの深さに、爽やかで力強いものを感じ、良き使命を果たす未来が与えられることを祈りました。

11日
 国会本会議場で私たちのために特別スピーチがなされ、国会議長、外務大臣と会談しました。シャロン首相の新連立内閣は、首相のおヒザもとのリクード党から反対13票が投じられるなど波乱のスタートです。ガザ地区から7,000人のユダヤ入植者を撤退させるという首相の方針に反対したデモ隊(若い人がほとんど)が国会を囲んでいました。ガザ地区では10発以上のロケット砲弾がうちこまれたと報道が伝えていました。

12日
 砂漠を緑化し、作物収穫を上げているハイテク工場と研究所の視察、ガンを予防するコンピューターとバイオ新薬の連携プログラム(ワイツマン科学研究所)をノーベル賞クラスの教授からの講義をうけ視察をしました。
 全行程にエリ・コーヘン駐日イスラエル大使が同行してくれました。大使は37年前に空手を学び、今も続けておられる方。副市長や国会議員をなさり、日本で大使が出来るならと特別志願なさった親日家でいらっしゃいます。神道とユダヤ教の共通点や日本文化についてたっぷりお話できました。
写真:エリコーヘン大使とシロモ・モラさん
 15日より町村外務大臣が訪イスラエルなさいます。中東への平和貢献で実りある会談がなされることでしょう。イスラエルから日本の対パレスチナ援助についてのお礼を滞在中何度かイスラエル人より聞きましたが、対テロの気持ちはイスラエル人もパレスチナ人も同じテロは人の生命と生活を奪います。私が滞在中の12日もガザ地区で衝突があり、8人が死傷しました。最近は麻薬問題やテロが続くことなどで若者の気持ちもすさんでいるのか、校内暴力も激しいとのこと。イスラム教理解をすすめるなど学力向上と共に相互理解のための教育改革をしたいと述べる国会議員もおられました。
 そういえば今年はアインシュタイン博士が相対性理論などの論文を発表して100年目。博士自身は大正11年11月に奥さまと共に来日、43日間日本に滞在し、「神さまが日本という国を作ってくださったことに感謝したい」と日本大好きとなって、次の訪問地パレスチナへ向けて旅立ったという話がありました。博士は相対性について、あるところで「熱いストーブに1分間手をつけていれば1時間にも感ずる。ところが好ましい美人を1時間眺めても1分くらいにしか思えない。これを相対性という」と語ったというエピソードが残っています。博士がパレスチナへ旅立ったのは門司の港からでした。ユダヤ人は、あいさつに「シャローム」平和と言い合います。博士もシャロームと旅立たれたことと想像しました。

平成17年1月14日 山谷えり子

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