全国区の投票方法

 昭和25年占領下、国会担当政治部記者、山谷親平の娘として生まれる。
 ジャズや長唄を子守歌にして育つ。占領政策、国のあり方をめぐって、働きすぎた父は過労でダウン。故郷の福井へ戻って福井新聞政治部長となる。マージャンしながら天下国家を論ずる記者たちから、かっぽれや黒田節などしこまれたりしながら育つ。福井の幼稚園の同級生には直木賞作家藤田宣永さんがいて「えりちゃんはボクの初恋の人だった」と総理補佐官になった時某月刊誌に書かれ当人ビックリ。

 中学時代、父が衆議院選挙に出馬、落選により、福井を離れて上京。選挙でできた借金を母は早く返そうとし、過労で失明。ステロイド剤で見えるようになったが、その副作用で身体障害者となる。数年間家にこもり嘆いていた頃、「人生80年、あと40年泣いてるの?」という親平の言葉で奮起し、母は40才すぎてから大学へ。カウンセラーの資格をとって、82才の今もカウンセラーとして働いている。「与えられるより、与えることが幸せ。人さまのため何が出来るか探しなさい」と母に言われたことが、大きな影響を与えることとなる。
 失業中の父は、明るく、台所に立ち、家族を励まし続ける。共に家事をしながら「ヤマもタニもあるがシンペイするな」「絶望は愚か者の結論なり」「苦しい時やせ我慢できる人間は上等だよ」「家族がひとつ屋根の下で食事できる回数は少ないよ」「縁あって家族。上機嫌がマナー」などの言葉に元気づけられ、それが人生観ともなる。
 その後約30年間、父は民間放送のキャスター、パーソナリティーを務め「お早ようニッポン」は5601回の放送を記録。62才で白血病で死亡。加藤隼戦闘隊のパイロットとして3度も撃墜されても生還した男は「子供は明るい時に学ぶ。大人は悲しい時に学ぶ。明るく育てなさい」の言葉を残して彼方へ。

 大学卒業後、出版社勤務を経てアメリカで記者生活。帰国後はサンケイリビング新聞記者となる。アルバイト気分でテレビの台本を書いたことがもとでテレビ出演することにも。共同通信社に勤める夫とは見合いで結婚。料理好きで子煩悩な夫と3児を育てながら、公立小学校PTA会長や地域ボランティア活動、ガールスカウトのお手伝い、フィリピンの子供たちの給食サポートをしたり里親となって数人のタイの子供たちを卒業させる活動も。世田谷区教育委員時代に“どの子もわが子”のスローガンのもと、放課後の遊び場をつくることに向けて働きかけ、区内全64小学校の遊び場づくりと地域ボランティアのネットワークやおやじの会の立ちあげに走り回る。

 サンケイリビング新聞編集長時代は、主婦の再就職、在宅勤務、生涯学習社会、多様な保育園、育児休業、介護休業、リサイクル運動、パート労働の条件づくり、地域再生など読者の声を集め、大臣に訴えたり審議会で制度づくりに参画。それがきっかけとなり国政に転ずる。
 国会では、家族政策の充実、教育再生、拉致問題の解決を訴えながら、議連の会長、幹事長を数多くつとめる。(日本の領土(竹島、尖閣諸島等)を守るため行動する議員連盟(会長)、北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(副会長)、日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟(幹事長)…など)
 イラク戦争直後には、高村元外務大臣、中谷元防衛庁長官と共にイラク、アフガニスタン、インド洋に出かけ、50℃の砂嵐の中現場をつぶさに見ながら、日本らしい国際平和の貢献策等を作り上げる。
 しかし、帰国した時、空港で夫が交通事故にあったと知らされ、そのまま病院へ入り、5日間の不眠不休の看病もむなしく夫は帰らぬ人に。その直後の衆院選挙では落選するなど、時間が凍りつくような体験をする。子供たちは、家を売ってでも信念を貫いたらいいのだと未亡人となった母を励まし、参議院選挙に再挑戦し、国会に戻る。
 安倍官房長官政務官時代は、拉致問題担当として横田早紀江さんの訪米、米議会公聴会の証言、ブッシュ大統領との面談をサポートする。拉致議連副会長として長い間、家族の皆さんと共に活動してきた積み重ねをアメリカでも生かす。
 また猪口大臣と中馬大臣の政務官として、少子化問題、行政改革のプランづくり、予算のつけ替え、法成立につくす。官邸に政務官プロジェクトチームを立ち上げ「家族の絆、地域社会の再生」のための省庁横断のプログラムを作る。
 安倍内閣のもとでは、教育再生担当の首相補佐官に。60年ぶりの教育基本法改正、ゆとり教育の見直し、道徳教育の充実、体験学習の充実、教育3法の成立、教育再生関係の予算増、放課後遊び場づくり、43年ぶりの全国学力調査の実施と困難校への支援策、モンスターペアレント対策など具体的な改革を進めるため、補佐官として走り回る。平成19年8月安倍改造内閣、同年19年9月福田内閣でも首相補佐官として留任。平成20年9月に自民党 女性局長となり、論語を学んだ全国女性部(局)長・代表者会議、吹雪の北海道をスタートし全国11道府県44ケ所で行なった女性局キャラバン、過去最高26,509件の回答をいただいた「子どもHAPPYプロジェクト第四弾アンケート」を実施。平成21年10月参議院環境委員長就任。平成22年9月自由民主党シャドウ・キャビネット拉致問題担当副大臣就任。同年10月参議院内閣委員会理事。自由民主党組織運動本部本部長代理に就任。現在に至る。

 趣味は水泳、合気道、川べりを犬と散歩、娘や息子と作る料理。
 社会が大きな家族のように睦み和らぐ政策を作り、実現すること。感謝と喜びにみたされる国づくりのために働くことを願っています。