メッセージ(バックナンバー)

 Newsweek最新版(英語版)を読んでいたら、中国特集記事が目につきました。
 さまざまな矛盾をかかえた中国にあって“良き調和”を求めなければならないという思い、Morality lessons道徳教育のあり方と孔子像の前で遊ぶ北京の学校の子供たちの写真、Social Harmony格差社会の現実と調和ある社会を求める動き、Family Values家族の価値について、毛沢東時代の検証、行き過ぎた個人主義、新しいリーダーシップのあり方について書かれていたました。孔子、儒教、和の精神…中国の良き記憶の糸がつむがれていきますように。
 近所の河原では、気の早い桜がチラホラ咲き始めています。桜は死と生と、ご先祖さまと私たちと、もののあわれと祝祭を過去と未来を共に抱かせてくれる花です。
 「春は曙。やうやうしろくなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」は枕草子の冒頭の章句ですが、春昼(しゅんちゅう)もなかなかに捨てがたいもの。
 「春昼の盥(たらひ)に満ちて嬰児(やや)の四肢」山崎ひさを「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」中村草田男。
という句はちょっと好きなものの一つですがいかがでしょう。
 また「春宵一刻価千金」の宵は、優雅に艶めいて「春の夜をかな文字ばかり習ひけり」の山口波津女にならって、私も下手くそながら“いろはにほへと”のかな習字を久々に毛筆でいたしました。春彼岸、ご先祖さまの生命をいただくこの季節に感謝したいと思います。
 日曜は、子育てと生命尊重を考えるお母さんたちの集まりでお話しをしました。また、本日は九段に先の大戦で傷痍軍人となられた皆さまのご苦労をしのび、平和を願う「しょうけい館」が設立され、その内覧会がありましたので足を運び、関係者の皆さまとお話しをしました。
 私の父は加藤隼戦闘隊パイロットとして戦い、撃墜され傷痍軍人となった戦後を「おつりの人生、亡き戦友たちに申し訳ない」を口ぐせとしていました。
 傷痍軍人の皆さまとは、年に何度もお会いしてお話をお聞きしています。務めを果たし、日本に平和がやってくるように戦われたお姿から、多くのことを教えられます。
 柔和な笑顔で静かな口調でお話をなさり、体は不自由ながら夫婦いたわり合う姿、支える奥さまたちの姿には美しい品位を感じます。
 1000本ほどある靖国神社の桜は、つぼみがふくらみ、ほんのり桜色でした。

「しょうけい館」
戦傷病者とそのご家族等が戦中・戦後に体験したさまざまなご苦労についての証言・歴史的資料・書籍・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその苦労を知る機会を提供する国立の施設です。
住所 東京都千代田区九段南1−5−13共同ビル九段2号館
TEL 03−3234−7821
HP http://www.shokeikan.go.jp
開館時間 午前10時〜午後5時半
休館日 月曜日・年末年始・3月31日
入館料 無料

 傷つかれた方、そして奥さまの歌を紹介させて下さい。
かよは妻と 片手の我と 野良仕事 捗らぬ侭 慰め合ひつ
下田一清
失明の 不運に触れず 増額さるる 恩給を人ら 羨しみて云う
梅田智子
盲学校に 鍼学ぶ夫に 学費送り 占領下の貧窮 われは耐へにき
梅田智子
その昔 戦傷の身を 横たえし 療舎に吾娘は 看護婦望む
道音林松
雨と降る 敵弾の中の 塹壕で ふと見し夢は 妻や子のこと
中山勇吉
父親の 弱き身体を 思いてか 進学止めし 吾子に泪す
太田耕
両義眼 義手なる吾に 今もなお 心変わらぬ 妻ありがたし
中沢誠一郎
殺さずば 殺さるるべき 戦いぞ 何故に今更 獣兵とは呼ぶ
去渡末作
双脚のなき 夫背負い 車椅子に 木犀見せんと 押し行く妻よ
荻田愛子
傷痕の 痛みやわらぎ 陽だまりで 不随の妻の 髪染めてやり
石橋郡市
曲がりたる 指を笑われ 泣きつつも 教壇に立ちし 悲しき想いで
茂木友信
桜花咲く 春も見えざる 盲目も 夫に手折って 花を匂はす
中嶋つぎを
戦傷の 右手に筆は 不能とて 今左手で 楽しパソコン
筒井幸弘
春一番 苦しき日々を のり越えて 今は楽しく 孫と曾孫に
新宮良枝
次つぎと 人病む報せ 聞く夕べ 慎しみ生きむ 八十路となりて
丹保重高
出典:財団法人日本傷痍軍人会機関誌「日傷月刊」

平成18年3月20日 山谷えり子

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