戦後日本を代表する抽象画家堂本尚郎展が世田谷美術館で開かれていたので長男と、友人たちと出かけました。堂本氏と詩人の高橋睦郎氏が「無意識と意識の間」という興味深いトークをしていました。 |
|
高橋 |
「俳句は“別れてやる”という決断のうた。短歌は“でも別れられない”という未練のうた。堂本さんはあたかも俳句と短歌の間を揺れるように作品を作ってきた。絵の世界で何かを斬ろうとする。そして斬ろうとするから斬れないものが見えてくる。60年間の初期の日本画から最新作まで100点を見ていくと、戦ってきたなあ、そして、いい処に出てきたなあという感想をもちました。」 |
堂本 |
「それは果たして出口なのか、この出口でいいのか、あなたから“いい処に出てきなあ”と言われても自信はないです。人生とものを作るのは似ているのかもしれません。大団円、出口はないのでしょう。」 |
高橋 |
「また、お苦しみ続け下さいということですか。」 |
堂本 |
「ひとつの処に安住するのが嫌いなんでしょうが、いい処に出てきたと言われても…それを続けていればマンネリズムになる。また、こわさないといけない。短歌と俳句のようにゆらいでせめぎ合う世界がまた始まる。」 |
高橋 |
「私は詩人ですが、詩は青春の文学と言われたりしますが、詩は老年の文学かもしれないと思う。いやセイシュンかもしれない凄春という字をあてる。今、凄春。 |
堂本 |
「私は77才、また戦い続けますか(笑)」 |
|
|
録音をしていたわけではないので、表現や発言のニュアンス、順序が正確でないことをお許し下さい。でも、息子と帰宅後、こんなやりとりの面白さを記憶をなぞって再現してみたのです。 |
先週末は雪の羽田をやっと飛んで熊本へ。今日は宮崎へ。いよいよ本格的に国会もスタートし、150日間は“清瞬”“凄瞬”と心して、一瞬一瞬を清らかに、かつ、すさまじく集中し、短歌の心を失わずに、俳句の強さで歩みぬこうと思います。 |
|
平成18年1月23日 山谷えり子 |