メッセージ(バックナンバー)
12月4日
 臨時国会が閉会しました。
 中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置法案、郵政の株式売却凍結法案はいづれも衆議院の数時間の審議で強行採決されました。本当に本当に淋しい国会でした。
 こんなに重要な法案が未熟なまま成立し、運用は現場に今後まかせるということでは混乱が起きること必至です。リーマンショックのあと今はドバイショック…不景気の二番底…現政権は責任感があるのでしょうか。
 
12月5日
 この週末は兵庫、沖縄で講演会4回行い、懇親会4回にまいりました。
 兵庫は湊川神社にて、楠木正成公のお墓まいりもしました。
 鎌倉幕府打倒に新田義貞と共に戦い、後醍醐天皇の「建武の中興」を実現するために戦った楠木正成公。
 1336年5月23日の息子正行公(小楠公)との桜井の別れや「七生報国」を誓って、正成軍700と足利尊氏軍3万5000との湊川での戦いは有名で、少女時代に心をふるわせて読んだものです。
 死出の念仏を唱えて弟の正秀と短刀をもって向かい合い互いの腹を刺して亡くなられたという小山に向かい祈りを捧げました。
 その後、尊氏側は「勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける」と記したといいます。
 お墓は“水戸黄門”徳川光圀の自筆で「嗚呼忠臣楠子之墓」と墓石に記されています。
 工事の監督は“助さん”こと佐々介三郎だったとか。阪神大震災の時、周囲はガラガラに崩壊したのに、楠木正成公のお墓だけはビクともしていなかったと、湊川神社の宮司さまがおっしゃられました。
 私はふるさと福井で新田義貞公を伝える会の名誉会長をしていることをお伝えしました。
 室町時代の「太平記」は正成公について「智・仁・勇の三徳を備え、命をかけて善道を守る」と、光圀は「主君に忠誠を捧げた人間の鑑であり、全ての武士は正成の精神を見習うべし」とし、300年近く汚名をきせられた正成公の名誉回復に努めたといいます。
 
12月6日
 沖縄では、教育問題の講演でしたが、普天間問題、日米安保、外交、国防について意見のやりとり。
 民主党政権の外交、国防センスには唖然とするばかり。
 インド洋給油(年間63億円)をやめて、アフガンとパキスタンに年間1200億円、向こう5年間支払うことを約束し、名誉もお金もそこなっています。
 あまりにもクルクル変わる言動と、国会で衆議院7議席しかない社民党に振り回される民主党政権にアメリカはあきれ返っており、中国はお腹の中で笑っていることでしょう。

平成21年12月4-6日 山谷えり子

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