メッセージ(バックナンバー)
 栃木にて神社関係者とお話いたしました。
 移動の車中、広い関東平野を眺めながら、農家の皆さまの徳のある美しい表情が目にとまりました。
 栃木県は、稀代の農村指導家である二宮尊徳が農村復興に取り組んだ場所です。
 二宮尊徳(金次郎)は、神奈川県(小田原藩)の酒匂川のほとりに生まれました。生家は豊かな地主でしたが、酒匂川の洪水など天災により田畑が荒廃し、また14才で父を、16才で母を亡くしました。しかし、そのような不幸の中から尊徳は状況に応じた具体策で結果を出し一家を再興しました。
 その後、小田原藩家老服部家の財政を再建して藩に用いられ、藩主の分家である下野国桜町領(真岡市付近)の再興を命じられて、一家をあげて桜町領に移り住み、その死まで30数年間、栃木県の農村復興に取り組みました。
 「貧富盛衰は道の盛衰による。道義ある時、国は栄え、道義衰えれば、国は衰える」と道義大国を説き、また尊徳は、読書をし、俳句の会に入って詩情豊かな俳句をよみました。
「きじ鳴くや七里並木のみぎひだり」
「春雨やぬれて耕す人心(ひとごころ)」
「きじ鳴くや七里並木のみぎひだり」
 村人と富士山に登ったり、伊勢神宮まいりや、吉野、奈良を回って、日本の国がらを考え続ける人でもありました。
 天保四年(1833年)の初夏のなすの味に、大凶作を予感し、“凶作の年でもひえなら大丈夫。畑の年貢をへらすからひえをまこう”とすすめて、村人を飢饉から救ったこともある五感の鋭い知恵の人でもあり、明治時代には二宮尊徳を慕う全国の報徳社は千社にものぼり、まごころと勤労で、天地の徳に報いる生き方は人々の心に広がりました。

平成21年9月7日 山谷えり子

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