あまりのどしゃ降りに列車が止まり、福島入りの予定を変更しながら、夜、いわき市に入りました。映画「フラガール」の地です。時代の変化に負けずに生きるいわき市。だから街は人々と政治、経済、連携し、工夫と明るさにみちています。 |
帰路、車中で第141回芥川賞受賞作「終の住処」磯崎憲一郎(現役商社マン)を読みました。自意識が強すぎて夫婦が長年にわたってギクシャクすること。しかし長い時間と子供の存在が、小さな自意識をこえた、大きな調和を生み出す様をシャレた文章で描いています。ここ何年間も芥川賞受賞作を読んでも何も感じず、時代と自分のへだたりを感じていたのですが、今回はすうっと読めました。 |
著者がインタビューに答えて、子供時代千葉でカブトムシをつかまえて、森で遊ぶ日々を送ったこと、商社マンとしてアメリカでアメリカビッグ3を相手に仕事したこと、そして異国の田舎で家族と生活する楽しさ、大変さを味わうなかで、若いころの自意識が抜けていき、子供が生まれ、成長を見ていく中で、子供が自分よりも大事な存在となっていき、時間も空間も拡散していく感じの中に身をひたしながら、少しづつ“自己実現でなく、外界に働きかけ、奉仕して生きなきゃ”と思うようになり、その表現として“文学に戻った”というインタビューには、共感をおぼえました。 |
小さな頃、自然に抱かれて遊ぶ生命の感覚や、人間らしい田舎での家庭生活が近代人のバランスを崩した自意識過剰を押さえて、再び大調和の感覚に戻してくれるということは、もっと心にとめて思い出すべきことなのかもしれません。 |
文学は教訓ではありませんが、そんなこと考えながら深夜帰宅。 |
台風でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 |
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平成21年8月10日 山谷えり子 |