メッセージ(バックナンバー)
1月17日
 自由民主党女性局全国大会、女性局の活動方針と選挙に向けてのとりくみを決め、その後、安岡正篤先生の孫である溝本定子さんをお迎えして「論語を人生に生かす政治に生かす」のお話を聞きました。
 安岡正篤先生は多くの財界の人物を磁石のように吸い寄せ、教えられた方です。特に岸総理、佐藤総理、大平総理、福田総理、竹下総理らとの交流はあつく、いろいろなエピソードがあります。
 歴代総理の油絵のかかる自民党ホールで全国の女性部(局)長、政策審議委員、選挙活動委員はじめ日頃自民党を支えてくださっている皆さまと論語の素読を大声でしながら政治のあり方を考えました。
 
1月18日
 党大会“テーマ、日本人力”は3400人の超満員。麻生節そして経済政策をじっくり聞き、世界でどこより早く不況から立ち直る決意を皆で共有しました。(麻生総裁演説は自民党のホームページでご覧になれます。>> http://www.jimin.jp/
 アトランタ、シドニー、アテネと3つのオリンピックで5つのメダルをとったシンクロナイズドスイミングの武田美保さんにもスピーチいただきました。21年間続けたシンクロナイズドスイミング。1日10時間練習する日もあり、1日2キロほど体重が減る人もいること。翌日までにエネルギーをもどすため1日5000kcal食事をとり、水の中では、過酷に忍耐、水の上に出れば華やかな笑顔…うーん。政治家の活動と似ており、それを続けてオリンピック3大会に出場しメダルに結びつけるのは限界を超えた日々の継続です。
 やさしくほほえみながら、最後に“限界を超えて”とスピーチを締めくくられた武田さん。そのあと麻生総裁も細田幹事長も、“限界を超えて”とおっしゃられていました。締めくくりの“日本万歳”三唱は、私は総理の左3人ほど横で(女性局長の日本人力を、和服を着ることで示しながら)いたしました。
 女性局の大会では資料として自民党の月刊女性誌「りぶる」1月号を配布しました。麻生ちか子総理夫人のインタビューが載っていますが、めったに表に出ないちか子さんのお話…。これが実にあたたかくて、深いのです。 一部ご紹介。

- 今度ご主人が総理になられ、お父さま(鈴木善幸元総理)と比べて、どのような感想をお持ちですか。
 父は人に手柄をあげて実をとるというのでしょうか、自分は縁の下の力持ちに徹して確実に物事を進めていく人でした。第二次臨時行政調査会(1981年)を発足させ、今日の行財政改革につながる土台を作ったことは、父らしかったと思います。
 主人の場合は4回目の挑戦ですからね。総理になって間もないですから、父と比べることはできません。一つ、父もそうでしたけど、総理在任中は一日中、国民や政治のことを考えていて頭が冴えて眠れないようなんです。ですから、夜は私が父に指圧をして寝かせていました。
 主人も総裁選挙の頃から眠れない日が続き、今でも40分くらい指圧をしています。いびきが聞こえて、ああ、寝たなと。疲れて帰宅した主人の背中を押しながら、「本当に大変で苦労しているんだな」と思うと、父の背中と重なり涙が出てきたことがありました。2人の背中から同じものが伝わってくるんですね。
- 麻生総理とのなれそめをお聞かせください。
 ちょうど父が総理大臣の時でした。1年生・2年生議員の方を家にお呼びして食事をする親睦会をしばしば開いていました。その中に主人もおりました。父は岩手県出身なので、地元の海のものが豊富で、母や私の手作り料理で皆さんをもてなしていました。
 ある時、ナマコが出たんです。主人はナマコがまったく食べられない。母は「召し上がれ」「召し上がれ」ともてなすのですが、主人は苦手なナマコをそっと遠くに置くんです。すると母が「おいしいのにどうして召し上がらないの」って。それを3回ぐらい繰り返して。覚悟を決めて飲み込もうとした時に、私が「お嫌いなものをムリに勧めちゃ悪いわよ」って母に言ったらしいんです。それで主人は「おっ、天使が現れた」と思ったんだそうです。ですからナマコがきっかけです。
- ちか子夫人は麻生総理にどのような印象をお持ちでしたか。
 「俺のどういうところが気に入った」って聞かれましたので、「まあ、不良っぽいところかな」って。「それなら間違いない。任せておけ」と。結婚したら本当に不良でした。
 主人は、若い時『平凡パンチ(当時の若者向け雑誌)』のモデルをして親に怒られたとか。夜遅い時、木に登ってそっと2階の自分の部屋に帰ってくることを続けていたら、ある日おばあさまに木を切られて、登る木がなくてびっくりしたとか。ともかくいろいろなことを経験していますから、噛み応えのある、とても魅力のある人だと思います。
- ご結婚後、すぐに麻生総理の地元に行かれましたが、印象はいかがでしたか?
 私たちは1983年11月3日に結婚しました。ところが1ヶ月後の衆議院選挙で主人は落選。「亭主は無職」ということになりました。その後すぐに地元に移り住みましたから、本当にゼロから、皆さんと接することができました。見知らぬ私を皆さんが受け入れてくださって。次の選挙まで2年以上ありましたが、その間に人間関係がすごく深まりました。
 いわゆる政治家の女房と支持者ではなく、人間としてつながりができたような気がします。「そこに」私が実際に住み、家庭を持ち、子供を産んで、しっかりと根をおろせば、主人も自然に「そこが」拠点になります。落選は主人にはつらかったでしょうが、その経験は本当に良かったと思います。
自由民主党 月刊女性誌 りぶる(平成21年1月号)より


平成21年1月21日 山谷えり子

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