メッセージ(バックナンバー)
 尾崎行雄生誕150周年記念の集いで、小泉純一郎元総理がスピーチなさいました。
「尾崎行雄、連続当選25回、議会生活63年、すごいね。僕なんか12回でくたびれちゃった。
 最後の選挙は93才。病床でいらしたのに、地元三重の支援者が勝手に立候補届け出をしちゃった。そして当選…。
 今じゃ考えられない。国会開設第一回の選挙から死ぬまで政治家。僕の祖父の又次郎は第十回からですから。すごいエネルギー、こんな政治家はこの先もう出ない。
 90代で記した直筆の書が憲政記念館の玄関前に立っているが“人生の本舞台は常に将来にあり”とある。すごいね。
 20代の青年が書くんじゃなく、90代で人生の本舞台は常に将来にありですから。しかも90代にしかかけないような枯れたいい味わいの文字で…」
 と魅力ある小泉節で会場を沸かせました(テープをとっていなかったので、きっちり正確な表現ではないことをお許し下さい)。
 私の隣の席は聖路加国際病院の理事長日野原重明先生(97才)“人生の本舞台は常に将来にあり”のくだりを熱心に胸からペンを出してメモしていらっしゃいました。
 帰りに“良い会でした”と森山眞弓先生(尾崎行雄記念財団理事長)にお礼を言うと、「憲政記念館の玄関前の“人生の本舞台は…”の文字、しっかり見ていらっしゃいね」のお声。
 森山先生は確か私の母と同年令の80才。…“はいはい。”と私はまるで小学生の生徒のように答え、書に見入ったのでした。
 尾崎行雄は咢堂のペンネームで短歌もよんでおられます。
◆ 大御代につくす誠はひとしきを知らでや人の我に仇する
1924年(大正13年)
◆ 世を挙げて我を罵る今日なれど花のみ獨り我をねぎらう
1928年(昭和3年)
◆ 形だにあらばまぎれんわが妻を灰とせし夜の堪へがたきかな
1932年(昭和7年)
◆ 愛國の心持ちつつ亡国の道を進むか痴人の群れ
1936年(昭和11年)
◆ 国よりは党を重んじ党よりも身を重んずる人の群れ哉
1950年(昭和25年)

 内閣委員会で質問をいたしました。
 質問内容は、対馬問題、拉致問題、仁徳天皇陵について、公益認定法人制度、大麻問題でした。
 最初の対馬問題では、韓国慶尚南道馬山市の市議会で「対馬の日」条例が制定されたこと、韓国与野党国会議員50名が対馬返還要求決議案を提出したことなどを説明し、私が会長を務めております「日本の領土(竹島、尖閣諸島等)を守るため行動する議員連盟」でも話題となった、韓国資本による対馬の土地買収の現状を説明しました。
 国として実態調査、国境離島への経済振興・安全保障上からの新法の制定を要望いたしました。
 拉致問題では、再調査の約束を履行しない北朝鮮に対し、全面輸出禁止措置などの追加制裁の検討の有無や、情報収集体制の現状などを質問しました。
 先日、拉致被害者市川修一さんのお母様のトミさんが91歳でご逝去されました。拉致の解決は、一刻の猶予も許されません。
 仁徳天皇陵は、世界文化遺産への登録申請が検討されております。
 世界文化遺産に登録することとなると、観光地・文化財としての役割が強調され、発掘調査などが行われることが懸念されます。
 そこで、世界遺産登録の意義や、陵墓としての静謐・尊厳が守られるのか質問し、政府から、陵墓の特性を尊重して行われることが必要だとの回答をいただきました。
 加えて、教科書が仁徳天皇の事績に触れていない点、「大山古墳」としか記されていない教科書もある点、現在の陵墓の管理体制についても質問いたしました。
 私が子どもの頃は、「高き屋に登りて見れば煙立つ 民のかまどはにぎわいにけり」という仁徳天皇の御製も教わりました。
 今の教科書の記述を見ると、長さ約486m、幅約305m、一日あたり約1500人が働いたとしても15年以上かかるなど、面積や必要な労働力が示されているだけで、寂しく思います。
 日本のよき伝統を伝える教科書であってほしいと指摘いたしました。
 公益認定法人制度に関する質問では、戦没者の慰霊顕彰事業が政令に一項目として明記されるよう要望いたしました。
 最後に、大麻問題を取り上げました。大麻の種を「観賞用」としてインターネット上で売るのは合法であるとか、さまざまな問題がなお残っています。
 警察庁、厚労省など連携を深めて対策にあたってほしいと要望いたしました。
 質問項目は多岐にわたりましたが、いずれも喫緊の課題です。今後とも、スピーディに取り組んでまいります。

平成20年11月20日 山谷えり子

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