メッセージ(バックナンバー)

 末娘が太宰治の「斜陽」を読んでいました。「戦後の没落貴族のお話ね。母さんも若い頃読んだわ。美的なセンスと独特の価値観を持っていても、上手に世間を生きられず、死んでしまうのよね」と、私が言うと、末娘がニヤリとして、「今、これを読むと、また違った感想を持つと思う。読み返してみる?」と挑発めいた言葉を返してきました。挑発にのってしまった私は、静かな深夜、頁を開いてみたのです。若い頃に気づかなかった描写の意味が新鮮で、一気に読み通してしまいました。
 太宰は、津軽の大地主の子として生まれました。父源右衛門は貴族院議員、衆議院議員にもなった名士で、六男坊として育った太宰は、自分の家の暮らしに悩み、後ろめたさからマルキシズムの政治運動に参加します。しかし間もなく違和感を覚え、革命の兵士から脱け、21才の時女性との心中にも失敗し、ニヒルな思いを抱いて暮らすようになります。
 「斜陽」は昭和22年に書かれますが、民主主義だの共産主義だのが、騒々しく唱えられる世間に違和感をもち、小説の中で自殺する直治の遺書の中で「人間は、みな、同じものだ。これは、いったい思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。民衆の酒場からわいて出た言葉です…人間は、みな、同じものだ。なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉…なぜ同じだというのか。優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。けれども、この言葉は、実に猥せつで、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、光栄は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、この不思議な一語からはっしていると僕は思っているんです。」と語らせています。
 そして、生き残る姉には「この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。」と語らせています。
 この小説が書かれた前年、太宰は知人に手紙を書いています。「不変の政治思想などは迷夢。…いまのジャーナリズム、大醜態なり、…戦時の苦労を全部否定するな…保守派になれ、保守は反動に非ず、現実派なり。天皇は倫理の儀表として之を支持せよ。恋いしたう対象なければ、倫理は宙に迷うおそれあり」
 ああ、このような一面がある太宰を若い頃の私は、気づきませんでした。末娘がどのような思いで私を挑発したのかわかりませんが、感想を話す私に末娘はニヤニヤ。対して長男は「作者本人も気づかぬ永遠性、普遍性があるのが作家ってものだよ。今読むと確かに意味深に思えるね」と言いました。
 景気は回復しても、品位の点で日本が混乱の中で斜陽にならぬよう踏ん張らなくちゃあと思えてなりませんでした。
 今日は末娘の成人式。お振りそで姿の笑顔を見ながら、さまざまな人の守りを感じずにはいられませんでした。今年成人を迎えた若者約143万人。“成人式の子らに幸あれ、それぞれの色で輝き道を行け。”と神さまみ仏さまが励ましておられるように思えます。

平成18年1月9日 山谷えり子

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