メッセージ(バックナンバー)

7月12日
 夏祭り、みたままつりの季節です。
 13日から靖国神社の御霊まつり。たくさんの祈りの灯のともる中を歩いてきました。
神官の背に 星またたきて 夏祭
幼な子の つぶらな瞳に ふるさとの
みたままつりの ともしび ゆれて
(山谷えり子)
 鎮魂の夏です。
 佐賀県因通寺の調寛雅(しらべかんが)さんが先帝陛下が因通寺行幸をなさった時のことをお書きとめになられた本を読みました。
 昭和24年5月24日、戦争被災児救護教養所因通寺洗心寮へ行幸になられた時、天皇陛下はひとりひとりにお声をかけられたといいます。「おいくつ」「七つです」「五つです」「満州から帰りました」「北朝鮮から帰りました」「立派にね、元気にね」緊張したお子たちの顔は、陛下の親しさ一杯のお顔に次々となごみ、慕わしさであたりがいっぱいになっていったといいます。
 その中で、二つの位牌をじっと胸に抱いて立っていた女の子がおり、陛下は「お父さん、お母さん」とお顔をぐっと近付けられて、お尋ねになられたといいます。女の子は「はい。これは父と母の位牌です」と返事をしました。「どこで」「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き揚げの途中、病のために亡くなりました」女の子はよどむことなく答えたといいます。
「お淋しい」陛下は悲しそうな顔でその子を眺められたといいます。けれど、その子は首を横に振り「いいえ。淋しいことはありません。私は仏の子供です。仏の子供は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんともお浄土にまいったら、きっともう一度会うことが出来るのです。お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私はみ仏さまの前に座ります。そして、そっとお父さんの名前を呼びます。そっとお母さんの名前を呼びます。するとお父さんもお母さんも、私のそばにやって来て私をそっと抱いてくれるのです。私は淋しいことはありません」陛下は静かに女の子を見つめられ、女の子の頭をお撫でになり「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と申され、お涙を流され、畳の上に数滴が落ちたといいます。まわりの新聞記者たちも静まり泣いたといいます。帰路、子供たちは陛下を囲み、なかにはお洋服の端をしっかり握って離さず「また来てね」と言う子もいたほどであったとか。宮中にお帰りになられた陛下は「みほとけの教へまもりて すくすくと 生い育つべき 子らに幸あれ」と御製をお詠みになられたといいます。
 調さんは、いじめや自殺の問題などを憂い、日本のこころ、生き方、そして、子らのすこやかな育ちを願って、このエピソードを紹介したとお気持ちを書かれています。
宵宮の 祭笛の音遠くに聞きて 子らの育ちを ただ祈りゆく
(山谷えり子)

平成17年7月12日 山谷えり子

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