メッセージ(バックナンバー)

 七夕さまの飾りつけの美しい街なみです。
 子どもたちが小さかった頃は家族で、ゆかたを着て街をそぞろ歩き、花火をしながら星空をあおいだものでした。
 夫が亡くなって2度目の夏がやってきました。
 末娘が高校の卒業文集を改めて持ち出して読み返していました。本人の許可をえて、ホームページでご紹介することをお許し下さい。

 私はこの夏、突然の事故で父を亡くしました。
 夜中に兄が犬の散歩に出掛けると、道端で倒れている人を発見しました。血だらけで誰か分からなかったけれど、着ている洋服は父の服だったのです。
 私は既に眠っていましたが、兄にたたき起こされ、すぐに父の所へ飛んでいきました。兄の顔つきを見てただ事ではないなとは思いましたが、まさか自分の父がこんなすごい事故にあうなんて思いもしません。父を一目見た瞬間、私は父の上に覆いかぶさり、「お父さん、お父さん、どうしちゃったの?」と父を抱きながらただひたすら泣いていました。
 父が事故にあった日、母は仕事でイラクに行っていて日本にいませんでした。母がイラクに旅立つ前夜、家族で夕食を食べに行きました。私は母がイラクに行ったらテロとかで死んじゃうかもしれないと思って、母にずっと行かないでと言っていました。すると父は「日本だっていつ交通事故にあうか分からないし、どこでも危険はつきものなんだ。」「まあ、これが最後の晩餐だな。」と、料理をとり分けながら、笑いながら言っていました。私は本当は父が一番、母を危険なイラクへ行かせたくなかった事を知っていましたが、「最後の晩餐」と私をからかう父に本気で怒っていたことを昨日の事のように思い出します。
 それから十日後、明日になれば母が帰国するという時に父は事故にあいました。
 父はすぐに緊急治療室へと運ばれ、母は空港からすぐに病院へ駆けつけました。母が病院に着くと同時に父の呼吸は止まり、緊急手術が始まりました。手術の始まる直前、家族の皆は父の手を固く握り、それぞれが父に話しかけていました。父はくやしそうに、申し訳なさそうに眉間にしわを寄せて、目には涙がにじんでいました。それが父と私達が最後に交わしたやりとりでした。
 父は緊急手術の甲斐もなく、亡くなりました。
 人の命とは、とてもはかないものです。本当は卒業文集に書くようなことではないとは思うけれど、仲の良い友達に、「明日は何が起こるか誰も分からないし、家族とは今よりもっとたくさん楽しく話した方がいいよね。私はもう一度だけでもいいからお父さんとおしゃべりしたいよ。」と、言ったことがあります。
 数日後、「あーこから言われて、何か本当にそうだなと思って、私、最近お父さんとよく話すようになった。」とその子から言われました。私はそれが嬉しく思い、もっと多くの人が親や周りの人と仲良くなればいいなあと思い、この場を借りて書かせてもらいました。

 天の川をあおぎながら、家族はあいかわらず、いつもいつもひとつであることのもったいなさ、うれしさに感謝です。

平成17年7月4日 山谷えり子

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