メッセージ(バックナンバー)

 櫻井よしこさんの「何があっても大丈夫」(新潮社)を読みました。若い頃からプレスクラブを颯爽と歩く櫻井さんの姿は、エネルギーと品位とエレガントさにあふれていましたが、多くの涙と苦しみをのりこえてこられた半生は、母上の知性、愛情、励ましもあってのことと思われました。日本のジャーナリストとして独自の道を切り開いてこられた櫻井さんの今後の歩みに期待しています。
 中川八洋(筑波大学教授)さんの「与謝野晶子に学ぶ、幸福になる女性とジェンダーフリーの拒絶」(グラフ社)は、11人の子どもを生み育て、女性であること、母親であることの幸福を生きた晶子をいわゆる“女性解放”を訴えた平塚雷鳥と比較して分析しています。晶子は「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」や「君死にたまふことなかれ…」の歌で、奔放な女流詩人、反戦詩の作り手として左翼運動に引用されたりしていますが、中川さんは、実は彼女ほど礼節と自尊品位を尊び、イデオロギーと対極にあった女性はいないと分析しています。晶子とフェミニズムの間は水と油のごとしと書いています。
 以前、私は晶子の娘さんにインタビューをしたことがありますが、“家事、育児を何より大切な喜びとして働いた母”となつかしそうに敬愛の表情で語ってくれたことが印象に残っています。
 出産は光輝、子供は歓喜と書く晶子でした。
 マザーテレサは1995年の国連世界女性会議(北京会議)にこんなメッセージを送りました。
 「男性と女性は互いに補い合って完成されるものです。男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々があるのが理解できません。
 女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れ、神様が女性に与えた最高の贈り物―それが母性なのです。
 子ども達が愛することと、祈ることを学ぶのに最もふさわしい場が家庭であり、家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、不和になったりすれば、多くの子は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国は、やがて多くの困難な問題を抱えることになるでしょう。」
 けれども、このメッセージは北京会議で無視されたといいます。
 女性会議に集まった多くの女性が、この意味を理解しなかったからでしょう。与謝野晶子と平塚雷鳥、山川菊栄、神近市子の論争は、現代でもまだ深刻な女性間、男女間の論争なのです。男性であること、女性であることは人間的であることですのに。
 ところで私の姑は、私が幼な子をあやす姿を見ながら目を細めて微笑みながら言いました。
 「男性と女性は仲良くしなくちゃならないけれど、理解し合えないことも多いものよ。人間の女性とライオンのメスのほうが、人間の男性と女性より理解し合えるかもしれないと思うことがあるものねぇ」
 私は、トンデモナイコトをおっしゃる姑だと驚きましたが、その後の10年、20年、この言葉を思い出しては、おかしくなって吹き出すことがあるのです。

平成17年3月22日 山谷えり子

<< 前のメッセージへ 次のメッセージへ >>

山谷えり子事務所
〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館611号室
TEL:03-3508-8611/FAX:03-5512-2611