メッセージ(バックナンバー)

 12月26日〜29日まで北京を訪ねました。日中新世紀会メンバーとです。気温はマイナス13度C、一時間も街を歩くと、足が凍って動かなくなりそうです。それでも北京の人はユーモアで“涼しいですネ”と笑い合っていました。クリスマスは過ぎたのに、街はメリークリスマスの飾りできらびやか。ここ数年でクリスマス文化が定着し、北京在住の中国人パパと話しましたら“幼稚園でサンタさんがプレゼントを持ってやってきますよと、我が家の子は教わったようです”と話していました。
 ファッションも年々洗練され、日本のヨン様韓流ブームを中国でも出来ないかと研究している人もいるそうです。
 26日は、経済、人々の暮らしぶり、街づくりを見て回りました。中国の都市と地方を毎年見るようにしていますが、変化のスピードはあいかわらず大きく驚きます。
 27日は共産党青年団幹部との会談。日中双方の青少年交流を増やしていきたいと、互いの思いを確認しました。私は、“北京や南京の抗日記念館に事実でない写真などの展示がある。どれが事実でないかを日本はある程度知っているので、事実でないものは、真の日中友好のためにはずしてほしい”と申しました。つづいて、何光☆観光大臣(注:☆は日ヘンに韋)とビジットジャパンプロジェクト、ビザの発給問題などについて話し、阿南大使ら中国の日本大使館の人々とこのところの日中間の問題や、北朝鮮問題について意見交換しました。
 28日は午前中いっぱいかけて、日本のことを研究している社会科学院の研究員、ベテランから若手まで20余人と集ってフリーディスカッション。日本のことをよく研究されている人ばかりですが、それでも、必ずしも日本の実情を反映しているとは言えないところについては、日本側から率直に指摘し、誤解が広がらないよう相互理解の場としました。靖国問題、台湾問題、人口問題、エネルギー問題、環境問題についてやりとりしました。
写真:中国にて
 午後は人民大会堂で、許嘉☆全国人民代表大会委員会副委員長(注:☆は王ヘンに路)と、今年2度目の会談。分祀論を言われても、神道ではそれは不可能であり、対処のしようがなく困るばかり。来年は戦後60年で、東京裁判とは何であったかという思いが国民にはある。
 昭和27年、全国で戦争受刑者釈放の全国規模の大運動が展開され、釈放署名は4千万を超えた。国会で「赦免に関する決議」が可決された。そして、昭和28年・29年遺族援護法・恩給法が改正。大平総理は「A級戦犯について、審判は歴史が下す」といわれたのは、いろいろな胸の内の思いを表されたものと考える。
 A級戦犯が合祀されたのは昭和53年で、中国が抗議を始められたのは、昭和60年から。日本国民はとまどってします。”と申しました。
 許全人代副委員長は“これからも議論しましょう”と言われました。
 夜は、釣魚台国賓館で武大偉外務次官と会談。とても、上手な日本語を話されます。
 私は、“原潜領海侵犯は技術的ミスと説明されても、日本国民は納得していないこと。国際慣習法では関係者の処分や賠償を求めることも出来るし、スウェーデンはソ連原潜侵犯に爆雷投下した。そのような議論も日本国内ではあるので、2度とこのようなことをしてほしくない。平成16年中国の違法な海洋調査活動は34回、またガス田問題、尖閣に上陸した中国人が北京空港で花束の出迎えを受けたことなど、日本人は知っており、中国への脅威論が高まるのは当然である”と話しました。
 中国では卓球の福原愛選手は人気者。あちこちに北京2008五輪への意気込みが感じられ、五輪グッズが早くも道ばたで売られています。公衆トイレがとてもキレイになり、外国人観光客も増えています。
 貧富の格差拡大、労働問題、エネルギー問題で深刻な問題をかかえる中国ですが、日中は引っ越しの出来ないお隣同士、お互いの立場とそれぞれの国益をふまえ発展していきたいと思います。
 帰路空港に向かう途中、3千年ほど前の為政者が使っていた青銅器に、「父母がいて自分がおり徳のある治め方を大切に」という意味の漢字の文章(ほとんど現在につながるほどの文字)が書かれていました。また、唐時代の石仏30体ほどと対面しました。静かな仏の微笑みの前で、人の世の儚さと小ささをかみしめました。
 どうぞ、みなさまよいお年を。

平成16年12月31日 山谷えり子

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