メッセージ(バックナンバー)

 奄美大島に行ってきました。
 領海侵犯がたびたび起きている東シナ海の海岸線を走り、土地の人々の声を聞いてきました。予算がついて巡視がこれまでより良くなりますが、まだまだ問題はあると感じました。奄美は本土復帰51年目です。
 また、この地は1892年、カトリック神父が布教したことから、今も教会が32あり、聖マリアの島ともよばれています。夜、海岸線をドライブすると小さな教会のイルミネーションが海に映えきれいです。戦争へと向かう時代は弾圧も激しく、カトリックの女子校が廃校になるほど悲しみの歴史もありました。
 その時、信者の人々が“どうぞ対立する人をお許しください。広い心をお与えください”と祈ったといいます。宗教の本質は、寛い心をもって互いに愛し合うこと。弾圧の時にさえ、美しい信仰が生き続けたことに感動を覚えました。
 このところ、美術ファンの間でこの地で晩年を過ごした孤高の日本画家 田中一村の人気が高まっていますが、田中一村美術館には入場者も多く、島の誇りとなっている様子です。一村は東山魁夷氏らと芸大で共に学びますが、孤独の中で放浪を重ね、奄美の自然に画家としての生命を再び吹き込まれて作品を書き続けます。
 有名になったのは死後のことで、生きている間は大島紬の工場で働き、赤貧洗うがごとしの暮らし。貧しい小屋に住みながらお金がたまると創作に集中するという日々を送りました。作品と共に貧しさの中独身で、夕食の準備中に亡くなったその人生に感ずる人々が増えているようです。
 西郷隆盛もこの地に潜居を命じられ、3年間住んでいたことがあり、島の女性 愛可那との間に2児をもうけ、島の人々に次第に慕われるようになったといいます。 住居が今も海辺の町にひっそりと建っていました。
 ひと筋の思いを貫いて生きた2人の男性の足跡を島の中に見て、島が一層深みをもって感じられました。

平成16年12月21日 山谷えり子

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